診断メーカー「謎の駅」を使った即興創作集です。診断メーカーの作者は正井ではありません。
次は、犬耳原
Next, Inumimihara
三角の岩が二つあって、それが犬の耳のように見えるから犬耳原。前に飼っていた犬は、夕方犬耳原に行くと耳を立てて、四つの足を地面に踏ん張っていた。まるで何かが聞こえてるみたいに。二つ並んだ三角の岩は犬耳原にはたくさんあり、何かの門のようにも見える。私の犬の耳の間も、何かの門なのかも。
次は、脱道
Next, Datsumichi
まっすぐ進んでいるつもりで道をそれている、というような地形は全国的にもよく見られ、ここ脱道もその類であるのだが、ここについてはそれなければ辿り着けないのだった。脱道への地図はあり、標識もある。正確なはずであるが、その通りに行くと、必ず二、三メートル〜数キロ外れた場所に出る。
次は、ねむみ井
Next, Nemumii
眠いと思って布団に包まったなのに眠れない。目は冴えているが本を読むほど元気ではない。寝なければと焦れば焦るほど眠れなくなる。私は井戸に眠気を落としてしまって、そのせいで眠れないのだ。井戸は私の心の中にあり、周囲には村がある。村には人が増えて、家が建ち、区画整備されて鉄道が通る。
次は、黄昏島
Next, Tasogarejima
ずっと斜陽の中にいる。日が暮れながら没し切らない。家は西側だけが日にやけて、どんどん色褪せていく。影は寒いから、子供は入っちゃダメと言われている。大人も用心して入る。友達の似顔絵は常に濃い陰影がついている。ええ、顔ははっきりと見えませんが、大丈夫、声でわかります。時々入れ替わる。
次は、未来広小路
Next, Miraihirokōji
未来広小路は「未来へ向かう道」がテーマだけど、昔に想像した未来だからもう古い。誰も空飛ぶバイクに乗ってないし、ホロ端末は開発されなかった。長寿もなかった。誰も体を置き換えることはできず、生まれた時の体で終わりへ向かう。でもそれが明るくないなんて、想像の未来の人間には言わせない。
次は、おやさい銀座
Next, Oyasaiginza
おやさいはお野菜だと思ってる。私だけじゃなくてここに住む全員がそういうことにしている。「おやさい」のアクセントはオではなく本来ならヤにあり、古くは「おやさし」の形をとる。意味は知らない。知らずにいなければならない。だからおやさい銀座には今日も野菜の直売市が立つ。安いと評判である。
次は、さわやかターミナル
Next, Sawayaka Terminal
何がさわやかターミナルじゃボケと心の中で罵りながら改札を通る。改装に伴って改名させられた最寄駅は、出入りする人皆不機嫌か顔が死んでるかでさわやかとは程遠いのだが、程遠すぎるのが滑稽で、マスクの下で若干にやりとしてしまうし、同じ所でにやりとする「ニヤ友」(名前は知らん)もできた。
次は、北フンワリヶ原
Next, Kita-Funwarigahara
フンワリ、していると言えばしている。していないと言えばしていない。ちょうど植生の境目にあり、各種の植物が雑多に混じり生えている。まあ「雑草」と一口にくくれるようなものなのだが、植物学者が何人挑んでも「雑草」以上に情報が出てこないということだから、少しおかしいのかもしれない。
次は、資本不動
Next, Shihonfudō
資本不動は、資本主義信仰が隆盛を迎えた21世紀ごろ、資本主義の護持と発展を祈願して作られた不動尊である。このグローバルな信仰はしかし、ほどなくして破綻を迎えた。とはいえ現在でも不動には世界各地から参拝客が訪れる。なお地元では「しほん」のつづまった「しょんさん」の名で親しまれている。
次は、秩序井
Next, Chitsujoi
秩序井は駅からバスで10分ほどいったところにある公園の中にあり、上から見ると綺麗な円形の井戸に、落下防止の金属製の格子がかけられている。格子の目は非常に細かい。ここに落ちたものは全て整然とした形を持つ、と言われるが返って来たものはない。計測機器も皆「整然」とするのだとか。
次は、にこにこ島
Next, Nikonikojima
良さげな地名って、もとはあんまりええ地名やなくて改名したんや、って言うけどそんなことない。ここはずっとにこにこ島やった。ずっとっていつからか知らんけどまあずっと、にこにこって言葉が出来てからずっと。でも人間ずっとにこにこはでけへんから、非にこにこ島やな。ていうか島ちゃうしな。
次は、怖屋敷
Next, Kowayashiki
怖ない。怖ないんよ。怖屋敷があるから怖ないんよ。怖いもんにお願いして、あのお屋敷に住んでもろてるんよ。せやから、この町には、怖いもんはなあんにもないの。はは、そやな、怖いもんはいーっぱいあるから、あんたが怖いもんは怖屋敷に住んでへんかもしれへん。でもね。大丈夫なんよ。
次は、虚無の森
Next, Kyomu-no-mori
虚無の森に森はある。町もある。人もある。数年に一度、森に入って出てこない人がいる。そしてその人の代わりに、虚無の森には新種の鳥が一羽やってくる、と言う。新種の鳥は一羽では繁殖できない。そのうち死に絶えて、虚無の森は普通の森に戻る。森では稀に、異種の鳥同士がつるむ様子が見られる。
次は、東ずぶぬれ林
Next, Higashi-Zubunurebayashi
いつでも雨が降っていた。だからずぶぬれ林という。いたというのは、林を沈めた雨はとうに止んでいて、町のそばの湖以外にその名残のない、降水量も全国平均に近い平凡な町である。湖に沈んだ林は湖に沈んだ人に開発され、由来の林も庭程度に縮小した。改名の話はあるが、大抵立ち消えになっている。
次は、とろける浜
Next, Torokeruhama
浜の砂が非常に細かく、しかも美味しそうな黄金色をしている。晴れた日などに見ると、まるで溶けたバターのように見えることからこの名がついた。歩くとキュッキュと砂が鳴く。――新月の夜に見る浜は、滑らかな闇のようで、じっと見ているとふらふらと砂の中に引き込まれ、二枚貝となると言われている。
次は、ゼリー新町
Next, Jellyshimmachi
ガラス工芸が盛んであったが今は下火である。その名残で町のいたるところ、ごく普通の民家の窓にまで、色とりどりのガラスがはまっている。ステンドグラスというほどもない、色付きの安いガラスだったが、晴れた日などに散歩をするときらきら賑やかで、ゼリーポンチの中にいるようだという。
次は、ドーナツ端
Next, Doughnutsbata
町全体が巨大な円形墳墓の一部であることが発覚したのは前世紀末のことである。人の住む場所は墓の南側に密集していて、上に行けば行くほど地価が高く、中央の窪みと裾野は貧乏人の住む土地だったが、駅ができてそこをドーナツ端と名づけてからじわじわ人気が逆転し、今や丘の上に住むのは狐狸ばかり。
次は、砂糖広小路
Next, Satōhirokōji
何ということもないただの通りである。菓子屋もないし砂糖屋もない、いやあるがごく普通の街並みに見る頻度で並ぶ。昔は「佐藤」であったが、何だか味気ないということで、住民の意思でこの名に変えた。名前を変えても味気ない街並みには変わりない、が、雨の日はだれとなく金平糖を配っている。
次は、巨学園
Next, Kyogakuen
といっても大きいのは敷地で、校舎も学生もおよそ標準サイズである。巨学園の裏は、背丈ほどの雑草の生えた土地が海まで続いていて、衣服に教科書、避妊具、事務机やダンベル等が朽ちている。どこからか流れ着いてくるらしい。なおメイン校舎正面までは駅から五分、アクセス良好で人気の学校である。
次は、南ロボヶ窪
Next, Minami-Robogakubo
南ロボヶ窪は、前新人類期における巨大ロボ時代の名残を残す地名である。すなわち、戦い敗れまたは役目の終わったロボットがその場に横たわり、巨大ロボットのみが朽ちてくぼみとなって残されたのである。人造物はかくも儚い。ロボとその製作者たる人類の断片は、地形を呼ぶこの名にのみ残されている。
次は、回想堀
Next, Kaisōbori
回想堀は右回りで泳ぐと何もないのだが左回りで泳ぐとかつての出来事が脳裏に蘇るという。忘れていた出来事、遠い日の記憶も眼前にあるがごとくに思い出される。現在人は入れぬようになっているが鳥や魚は自由に出入りし、皆左回りで泳いでいる。一説によると進化の過程を回想しているとか。
次は、果宮
Next, Hatemiya
てというからには終わりであり宮というからにはやんごとなき何かがいる。ここにましましたのは恐怖の大王の第六王子である。終わりをもたらすと言われていたが、人の営みというのはそもそも終わるもの。今は王子も引退し、田舎にひこんでいるし、果宮はただの終着駅として、ぽつんと、ある。
次は、逢魔大学
Next, Ōmadaigaku
名前は恐ろしいが普通の大学である。もちろん魔には逢う。夕暮れの一定時間は、キャンパスの建物外に出るのを禁じられている。それ以外は至って普通の大学だ。資料庫から啜り泣きが聞こえるとか誰もいない給湯室の水音とか、帰宅の途中で毛むくじゃらの何かに出会ったとか、どこの大学でも聞くだろう?
次は、文字化けヶ浦
Next, Mojibakegaura
そんなに昔じゃない。せいぜい明治だ。あの浦に、汽車の車輌が落ちたことがあった。幸い人は乗っていなかったが、新聞がどっさり乗っていた。慌てて引き揚げたが、濡れてインクが溶け出したのか、紙面は白紙だった。油性なのにおかしい、――と思った数日後、人が海から上がって、村を作ったそうだよ。
次は、さっぱり本
Next, Sapparimoto
さっぱり本は境界の駅である。ここを通るには、俗世の物は全て置いて行かねばならない。荷物や装飾品のみならず最低限の衣服以外は持って行けない。現在は駅に更衣所とロッカーがあり、乗客も乗務員も皆、一旦停止の間に荷物と服を預ける。靴は履いて行ける。奥へ行くには丈夫な靴がいるから、という。
次は、人生ヶ浜
Next, Jinseigahama
人生ヶ浜を東から西へ行くのはやめた方がいい。歩けばあなたの人生が、一歩ごとに一年ずつ体験されるという。皆ではない。海に愛された者だけだ。彼らは大抵、全く同じ二度目の人生を生きるよりは、目の前の海に入ることを選ぶ。この駅を通る路線は、上りは浜に沿い、下りは大きく迂回している。
次は、無理市場
Next, Muri-ichiba
いやこれ私か? 私だな。なんというタイミングで出てきたのか……。新年度に限らず、無理な気持ちなら売るほど抱えてるけど買う人はいない。でも開かれる無理市場。無理市場は青空市場で、芝生に敷かれた色とりどりの布の上に寝転んで無理を売る。買う人はいないがお茶やお菓子を売りにくる人はいる。
次は、炙り中島
Next, Aburinakajima
炙り中島は焼き肉でも刺身でもなく火事の本場である。ここ一帯は地形の関係で乾燥しやすく、しかも山側から強い風が吹く。芦原に火がつけば一気に燃え広がる。そんな場所でも人は居を構え、火事に最適化された町を作った。現在は完全防火の町として発展した。この町で火は唯一、駅名にのみ残っている。
次は、おやつ医大
Next, Oyatsu-idai
おやつは小谷津であって三時のおやつではないのだが、先代学長が「津だけ画数が多くて座りが悪い」と平仮名に変えた。おかげで予防接種の子供たちが毎年にこにこしながら附属病院に入って来て、裏切られた顔で出ていく。鬼籍に入った先代に墓前で文句を言うと、翌年、甘い霰が降った。玄関がベタベタになった。
次は、西彼岸茶屋
Next, Nishi-Higanjaya
彼岸茶屋という地名はないのに、西彼岸茶屋はある。東彼岸茶屋、北彼岸茶屋、中彼岸茶屋もある。彼岸は中彼岸茶屋にあるのかと思いきやない。南側は海である。海の向こうは補陀落だ。要するにどこにでもあるものなのだ。彼岸というものは遍在するのである。なのでこの辺りではしばしば死者と行き違う。
次は、すごいセンター
Next, Sugoi Center
変な名前だよね。私もそう思う。小学生がつけたの? って言われる、他の地域の人には。でもさ違うんだよ、「すごい」ってもともとは「ぞっとするほど恐ろしい、寂しい」って意味なんだよ。わかるでしょ、ねえ、駅からの眺めを見てよ、わかったでしょ。……変な名前になってから、凄さはましになった。
次は、彼岸戸
Next, Higando
昔からいなくなる人が多かったという。失踪者の伝説はいくつも残る。いなくなるのは女がほとんどだ。それで、いつしか、彼岸の戸を開けて向こう側へ行ってしまう、と言われるようになった。……実際のところは、逃げてきた女達を町ぐるみで隠し、別人ということにして生活させていた。私の母のように。
次は、純情大師
Next, Junjōdaishi
純情、というのは人をいちずに思うことであり、仏道におけるいわゆる「執着」であるのだが、人間関係が損得や利害に集約されていた時代においては、「人をただ思う」ことは奇特なこととされていたのである。現代では「恋」と呼ばれ、恋薬師の別名があるが、片思いになると言われて人気がない。
次は、かきフライ湯本
Next, Kakifuraiyumoto
この辺りには地名はない。あるにはあるけど、駅ができた頃には禁止語彙になっててね。あの頃には珍しくない。そこで駅前すぐのお店の名前を駅名にしたんだよ。その店はさすがにトンカツに鞍替えしたけどね。仕方ないよ、かきに人の集合的無意識が集約されてたなんて、あの頃はわからなかったんだから。
次は、新虫辺
Next, Shin-Mushibe
虫、というのはかつては「それ以外の這うもの」くらいの意味で使われていた。それ以外の、というのは、食べるやつと生活の役にたつ以外のやつ、ということ。今や人の食べる範囲も人の生活に役立てるものも大きく広がり、新虫辺の界隈は膨張を続けている。
次は、潑溂八景
Next, Hatsuratsuhakkei
故郷は嫌いだ。「皆はつらつの元気の子」という標語は私のような体力のない子には拷問で、大人達が昼夜を問わず「こんにちは! ほら挨拶は? がんばれ潑溂の子!」と話しかけてくるのが苦痛だった。しかし今考えてみれば、彼らが文字通り昼夜を問わず話しかけてきたのは奇妙だ。私は何に話しかけられたのだろう。
次は、魔辺
Next, Mabe
おどろおどろしい名前であるが恐ろしい場所ではない。子供にわざとよくない名前をつけて「連れていかれる」のを防ぐと同じく、ここも悪名を冠することによって「取られない」ようにしたものである。だからであろうか、人類の滅亡より数千年経た今でも、この駅だけはここに残っている。
次は、懐かし橋
Next, Natsukashihashi
本当は誰にとっても懐かしくない。だって新しい駅だから。変な名前、こないだできたばっかりだよ、あれじゃんよくない地名をいい名前にするやつ、て言ってるうちに十年経っているけれど、懐かし橋はいつまでも「新しい駅」で、駅名を書いた板も古びているのに、誰にとっても思い出にならないのだった。
次は、クレヨン市場
Next, Crayonshijō
ここらはクレヨンの卸売が盛んで、駅前からあの時計台まで、ずーっと色とりどりのクレヨンが並んでた。青ひとつとっても色んな色があったけど、一番多かったのは十二色一セットのクレヨン。買われたクレヨンたちはすぐに汽車に乗せられて、色んな街の子供の手に渡された。昔の話。今はただの普通の街。
次は、怖尻
Next, Kowajiri
なんやこの子、怖尻言うんが怖いんかいな、ええてええて、周りましょ。怖尻は怖ないで、怖いの尻が怖尻や、ここで怖いんが終わるんや。怖いんが見たないんやったら窓の外、見たらあかんで。あかんで。あかんて! ほら見てしもた、目ぇ合うたんか、何や聞こえたんか、大丈夫や、怖尻着いたら皆忘れる。
次は 蛸津
Next Takotsu
昔、といっても一昔前。この近所に蛸がたくさん打ち上げられたことがあった。蛸は生きているのもいたけれど、ほとんどは死んで、乾いて、嫌な臭いをさせていた。奇妙なのは、ここは海岸線から十数キロは離れているということだ。蛸たちは歩いてきたのだとも言われている。何のためかは、誰も知らない。
次は 元気もりもりシーサイド
Next Genkimorimori Seaside
別に全然元気じゃない。栄養ドリンクの会社の本社が地元にあって、駅にかなりの寄付をしたとかでこんな名前になっている。シーサイドなのは本当。ホームから海が見える。満潮で風が強い日には、潮の飛沫がここまで飛んでくる。飛沫の中には小さいエビとか魚がいることがあって、皆海に放ってやる。
次は 甘々河原
Next Amaamagawara
祖父母の家に行く時はこの駅を通りすぎる。駅からは洋風の軒の深い切妻屋根が見えた。あれはお菓子の家だと思っていた。降りてみたいけど言い出せなかった。大人になってどこへでも行けるようになって、最初に降りたのがここだった。切妻屋根は地元の会社の事務所で、甘々は雨。ここは毎日雨が降る。
次は ヌードル塚
Next Noodle-tsuka
平べったくて細長い、うねうねした姿であったという。その昔このあたりに出たという妖怪、というより謎の生き物と言った方がいいか。香ばしい匂いがしたらしい。災害時には非常食として重宝された歴史があり、商品化を狙って乱獲された結果、今世紀には数が激減した。ここ三十年目撃情報はないという。
次は ブリキ山
Next Blik-san
歩くとかしゃかしゃ音がするんだ。本当に小さな山なんだ。木も、木の葉も、枝に止まる鳥も、花も蛹もぜんぶブリキでできていて、よく見ると表面に凹んだ動物の足跡がついている。たぶんここは風が静かだからできたんだと思う。風が吹いたらがしゃがしゃ音がするんだ。たんぽぽの綿毛までブリキなんだ。
次は しもやけ稲荷
Next Shimoyakeinari
今と違って昔の家は足元から石のように冷えていく。学校も同じでみんな霜焼け作ってた。このお稲荷さんは学校が建つ前からずっとここにあったんだけど、子供が半分冗談でお供えしたら霜焼けが治ったんだって。それ以来冬になるとみんなお供えしてる。ここに通う間だけ、しもやけからだけ守ってくれる。
次は 角堀
Next Tsunohori
堀と呼ばれているが小さな川あるいは縦にものすごく長いプールみたいな大きな溝、その中に、ツノ、ツノ、ツノ。鹿のツノ、牛のツノ、麒麟のツノ、カモシカ、トムソンガゼル、カタツムリ。かたつむりにツノはないって? あるのさ、人間が知らないだけで、全ての生物にはツノがある。そら、雀のツノ。
次は 安心津
Next Anshinzu
大丈夫。ここまで来ればもう安心。あなたは脱出できた/逃げ切った/やり遂げた。全ては忘れられない。あなたは悲しみとともに生きる。波が寄せてかえすたびに、その悲しみの上に年月が降り積もる。時々、船を出すのもいい。海は広い。人間の感情など、いくら沈めても、潮に巻かれて沖へ行く。
次は ゼリー動物園前
Next Jelly-dōbutsuen-mae
全部ゼリーでできている。檻も金網も、あんまり意味がないのだけど、かたどられた動物たちは逃げようとしない。金網に手をかけて登る猿。檻の前を歩くキリン。ネットのかけられた鳥舎を悠々と歩くフラミンゴ。ゼリーは無味無臭だ。でなければ虫に食べられる。動物の一匹もいない星だが虫はいる。
次は 寿司畷
Next Sushinawate
寿司ってシャリを握って、その上にネタを乗せるでしょ。ここの畦もそういう作りなの。昔は見渡す限り真ーっ平で、こんくらいの泥の塊を並べて、その上に乾いた土をごそっと乗せる。だから寿司関係ないんだよ。悪いね。寿司屋も何軒かできたんだけど、皆畷が啜っちゃって。仲間だと思ってんのかね。
次は 奇蹟本郷
Next Kisekihongō
とてつもない大昔、ここで奇蹟があったのですよ。病が治癒し、死者が蘇り、水が酒になり、捌かれた魚は元のようにぴちぴち跳ねました。跳ねて、跳ねて、川へざんぶと飛んで海へ下り、他の魚を引き連れて遡上しました。群れるはずのない異種の魚で溢れ返ったここが奇蹟本郷、その証拠に、他より小高い。
次は ひねり区役所前
Next Hinerikuyakushomae
ひねりは捻りではなく火煉である。都市開発の際の調査で、縄文土器が出てきた。いわゆる火炎型土器である。ここらでは畑でもよく出てくる。村落跡は見つからなかった。火煉は字が難しいからと平仮名にしたところ、翌年から、ぐにゃぐにゃにねじられた土器が出てくるようになった。
次は 思い出新都心
Next Omoide Shin-toshin
都会にだって人が生まれて、人が住む。小さい頃からここにいる。開発されてどんどん変わって行くのは駅前だけだ。そこから少し離れれば、町は私が生まれてからの年数分だけ古びて、擦り切れている。最近新しいドラッグストアができた。その看板もだんだん薄汚れて、しまう前に私はここを出たい。
次は 海老ヶ島
Next Ebigashima
千年生きたエビの背にいることが先日の地質調査でわかった。巨大なエビが眠りにつき、その背に村ができたという昔話は与太ではない事が判明して住民一同パニックになった。エビは今も生きていて眠っている。眠っている間に移住しなければならない。この眠りの深さなら後百年は大丈夫と言われているが。
次は 解脱ヶ淵
Next Gedatsugafuchi
解脱ヶ淵は、そこに潜れば一切の迷いから放たれると言われ毎年飛び込む者が後を絶たないのでついに地元のものにも秘匿される。淵の場所を知らなくても迷いのない時は、たとえひと時でもあり、それでよしとするしかないが、町の中央を流れる川にはまれに柔らかな顔をした人面のやまなしが流れ着く。
次は 嘆き石
Next Nagekiishi
雨が降ると石が泣く。しくしく、ぽとぽと、みたいな泣き方ではなく、叫ぶがごとき激しい泣き方で泣く。胸を引き裂かれるようなその声に、住民たちはすっかり参って、雨の滅多に降らない土地に石を移した。今も稀に遠くから泣き声がする。人がここまで住まなければ、好きなだけ泣いていられただろうに。
次は 術動物園前
Next Sube-dōbutsuen-mae
一文字の市は全部で十、うち一つがわが術市だった。近年の合併で術の名はなくなり、それに伴って公共施設の名も変わったが、なぜか動物園だけはそのままだった。術動物園はゾウもキリンもいない小さな動物園で、毎年折り紙コンテストが開催されるが、その期間だけ、ゾウやキリン、恐竜やユニコーンの鳴き声を聞く。
次は 不安霊園
Next Fuan-reien
いわゆる騒がしい霊現象が毎晩起こる。お供えの花は空を舞うし線香の煙はラブアンドピース、っておかしな形の渦を巻く。安らかに眠ることに向いていない死者というのがいて、そういう霊たちが集まっている。だけど、どんどん騒がしくなるわけじゃないんだ、たぶん成仏はしてるんだろう。
次は 暗闇宮
Next Kurayamimiya
年に一度、駅の全ての隙間を塞いで中を真っ暗にする。目張りに耳を当てると何か聞こえると言うが噂の域を出ない。翌日、目張りを剥がして駅舎に入ると、大小様々の足跡があり、ゴミ箱が満杯になっている。落ちている切符には見知らぬ地名。落とし主は到着駅でどうしたのかしらと他人事ながら心配になる。
次は 寄処場町
Next Yosugabachō
他との縁を失った人や動物、魚に鳥、虫やら何やらが最後に辿りつくのがここだ。当然言葉は通じないので、寄処場ピジンみたいな言葉で意思疎通を図っている。生き物たちも見たことのあるようなないような、進化の孤立した枝にいるようなのが飛んで泳いで鳴いて隠れて死ぬ。生きる分だけ取って食べる。
次は もみあげノ町
Next Momiagenomachi
こんな町名だからって皆がもみあげを伸ばしてるわけじゃない。剃ってるのも細いのもいる。昔もみあげ自慢の殿様がいて、長さといい幅といい、それは美しいもみあげだったと。だが生まれた世継ぎは平凡なもみあげで、家中が落胆するのにその殿様はかわいいかわいいって、仲のいい家族だったって話だ。
次は 御菓子ヶ島
Next Okashigashima
菓子は元々果物を指し、この「御菓子」というのも橘のことを言った。「御」の字のある通り、守神のための菓子で、他の生き物は食べられない。虫食いもなくたわわに実った果実はある日を境に減ることもなく、腐り落ちるようになり、落ちた実は芽を出し森になって、どれが元の御菓子の木かわからない。
次は 硝子茶屋
Next Garasujaya
ここの茶屋はある地方に生えている特定の木を使って作られた。表面には鉱物を砕いて作った塗料。どの条件が影響したか、土か、水分か、降り注いだ火山灰の組成か、発掘された時には茶屋は曇ったガラス質の素材に変質していた。骨が鉱物になり、樹液が石になるように。晴れた日はきらきら美しかった。
次は アニマル湖
Next Animal-ko
アニマル湖はいわゆるアニマル模様の湖だ。ゼブラ、タイガー、ヒョウにキリン、澄んだ水底には動物の毛皮のような模様が見える。「欲望を刺激する」との理由から衣服をはじめとしたあらゆる人工物の表面にこれらの模様を使用することが禁じられた今、アニマル湖は一大観光地となっている。
次は 群青戸
Next Gunjōdo
海のごとくに空が満ちてきた、その起点としてこの名で呼ばれるようになった。昔はもっと平凡な地名だったらしい。今は誰もその名で呼ばないし、その名を覚えていない。今日もまた空が満ち引きする。天国はすぐ手を伸ばせば届きそうなところにやってきては引いていく。皆行った。今は私だけだ。
次は 鯨馬場
Next Kujirabamba
にんげんが海で暮らしていた頃、クジラは主な移動手段だったが、乗りこなすにはコツがいる。それで一定の年齢になれば皆、鯨馬場に連れてこられて、クジラに乗る練習をした。私の婆さんは鈍臭かったが、クジラはすぐ乗りこなした。いつも鯨笛を下げていたっけ。今も沖からその音が聞こえる気がするよ。
次は 枕府中
Next Makurafuchū
私は電車に乗っている。電車は決まって夜走る。街へ入る。見たことのない街なのにどこか懐かしい。駅に降りようとした時に目が覚める。……寝苦しい暑い夜、うとうとしていると、部屋の中を小さな電車がぐるりと巡り、枕の中へ消えていった。私は電車に乗りながら、微睡む私の山のような姿を見ていた。
次は すごい三丁目
Next Sugoi-sanchōme
一丁目はまだいい。駅の近くの賑やかさがまだ響いている。二丁目になると何だか寂しい。三丁目、私の住んでいる場所だけど、曇りの日なんかはやりきれないほど空虚な気持ちになる。バス停は18丁目まであり、そこが終点だ。そこまで行ったらどうなるのか怖い。だけどバスには、いつでも人が乗っている。
次は 愛ノ浦
Next Ainoura
元は藍の字だったが、海の色が藍からラベンダーに変わるに至って「愛」に変えた。ラベンダーになった理由はわからない。微生物、鉱物、地震で露出した海底岩の色等々色んな説が出た。だが今やあらゆるものの色が「交換」されている。空は若葉の緑、カラスは鹿の子。大きな現象の一部だった。それだけ。
次は 懐かしの口
Next Natsukashinokuchi
ここへ来ると皆懐かしいと言う。来たことがないのに懐かしいって。特徴がない街ってこと? でも、あれだけ背景も文化圏も違う人たちが皆そう言うなら、ここは人類の故郷なのかもしれないね。(口は通常入口の意だが、ここでは文字通りの意味である。40万年を生きる蛤の殻の中で皆故郷の夢を見ている)
次は 水色ノ門
Next Mizuironomon
この付近で採れる木は、縦に割って綺麗に鉋をかけると、水色に輝く。何かの拍子で日が当たったりした時だ。年輪の構造が原因らしいが、詳しいことは知らない。水色の色は、年を経るごとにだんだんと深い色になる。ここができた時には淡い色だった水色の町の門は、今や深い藍色になっている。
次は ひよこ河原
Next Hiyokogawara
ぴよ、と鳴く。河原を歩くと足元から、ぴよ。本物のひよこみたいな音だから、まさかと皆慌てる。でもご安心、足元には何もいない。ぴよ、ぴよと鳴いているように聞こえるのは、石と土の具合のせい、らしい。この石を積んで山にすると、明け方にコケコッコーと鳴く。うるさいので条例で禁じられている。
次は みたらし天神
Next Mitarashitenjin
みたらしは団子ではない。神仏を拝む前に口や手を清める一種の手洗い場である。もうどれほどになるのか、とある流行病が世界中を覆った際、無病息災を願ってこの天神は建立された。神仏のみならず人と対面する際には手と口を清めると、霊験灼かに病から身が守られる。口塞ぎの札と併用するとなおよい。
次は もやもや岡
Next Moyamoyaoka
常にうっすら靄っている。岡に生える植物が吐くため息のせい。マサキに似ているが葉は厚く丸っこい。恋多き植物で、鳥や雲に恋をしては切ないため息をついている。根は地中で絡み合い、これは誰の恋心なのだか、そもそも心が一体に一つというのが人間中心の見方で、ヒトは恋の対象としては人気がない。
次は 抹茶桟橋
Next Matchasambashi
山で作った茶を、麓で挽いて粉にして、船に積んで向こう岸へ渡す。盛んな時には抹茶船がずらりと並び、船も人も金もひっきりなしに往来していた。今はもう向こう岸へ渡る長い橋ができたから、桟橋はほとんど使われないが、まれに船がやってくる。いずれも空の船ばかり。行くことはなく、来るばかり。
次は 割切木
Next Warikirigi
この特産の木は繊維が特殊な形に入っていて、ある一定の方向から一定の力で叩くと、ぱん! と綺麗に八つに割れる。この割切を習得するのは難しく、しかも相手は生き物だから、節の入り方や天候によって細かな調整がいる。木が一人前になるまでになればいい、とのんびりしているのが住人の気質である。
次は 抒情戎
Next Jojōebisu
戎は海より流れ着く。海に程近いこの町の、戎供養の日には皆窓をしっかり閉め切って一晩中起きている。幼い頃は夜中に堂々起きていられるのが楽しい思い出だった。時々外から聞こえる奇妙な節回しは、戎たちの歌である。戎は海のごみだ。捨てられ漂う間のわびしさ、虚しさの歌に耳を傾けてはいけない。
次は 快適稲荷
Next Kaitekiinari
蓮根稲荷は定番のお供えで、これは風通しがよくなるようにという意味だ。比喩ではなく、文字通り。密集都市では住環境がQOLとパフォーマンスに直結するが、多くの場合運任せ、神頼み。だからこんな信仰ができる。かつては屋上にあったらしい。今は建て増しした建物の中庭にある。時々ケンと声がする。
次は 小粋の科学館
Next Koiki-no-kagakukan
科学館といえばよく言えば真面目悪く言っても真面目、そりゃ色んな装置があって、押したり引いたり覗いたりは面白いが、お勉強がくっついちゃたまらない。というコンセプトかと思ったが違った。技術の粋の縮小版を展示するという意図だとか。道理で人工ブラックホールが生真面目に展示されてるわけだ。
次は ぐうたら堤
Next Gūtarazutsumi
川の流れを変えて堤を作るという話だったが、一向に堤はできてこない。少し工事になっては止まって、止まったと思ったら始まって、ゆっくりゆっくり進んでいる。駅もできたが堤が終わらなければ線路が引けない。でも工事は、自然のものだから、待つしかないね。そう言っている間に何百年、川も枯れる。
次は 術公園
Next Subekōen
術公園の小石は全部ほんの少し浮いている。だから石蹴りしても面白くない。遊具は建てても建ててもひっくり返される。ちゃんと遊びたいから入ーれてって言ったら遊ばせてくれるのに、大人はそれを知らないから、いつも困ったなあと首を傾げている。真夏の暑い日は雲の影がかかるようにしてくれる。
次は 男ニュータウン
Next Otoko New Town
今時女人禁制など流行らないと言ったのだが押し切られてしまった。土地にちなむ別の名もあったのに、通称がすっかり定着した。女人禁制、というよりは、シスヘテロ男性以外禁止と言うべきだが、まあ長いので。それにしても、そもそも禁制を敷いていた山がなくなったのに、禁忌は有効なのだろうか?
次は さわやかシーサイド
Next Sawayaka Seaside
海辺の駅だった。昔はね。今や海は遠くなりにけり、海岸線はここから三日歩かないと見えないし、展望台から眺めるしかない。そうしないと、また海が逃げてしまう。でも私が子供の頃はとっても近くにあったんだよ。いつでも海鳴りがして、潮の匂いがして、手を伸ばせばいつでも届くと思ってた。
次は うるさ文庫
Next Urusa-bunko
うるさ文庫はとても静か。館内は私語厳禁で、ガサガサ音の鳴る素材の服もNGだ。咳どころか呼吸すら憚られるような静寂の中で、ページをめくる音だけがする。ここで本を読んで外へ出ると、確かにこの世はあまりにもうるさい。現在はページ音の阻止のために電子書籍化を進めている、とか。
次は 東破壊部
Next Higashi-Hakaibe
破壊は建設の対義語であり前提である。ビル・公園・建築基準改定前の学舎・博覧会跡地・巨大ショッピングモール・巨大ロボといったややこしい建造物を解体する、それが破壊部であり、ここはその一族が多く住む土地であった。めぼしい建物もなく地表のほとんどが緑に帰る今は土地にだけその名が残る。
次は 蜉蝣元町
Next Kagerōmotomachi
山の間のすり鉢状の底にあるのがこの町だ。要はアリジゴクなんだ。といってもちろん山は越えられるけれど、安心して。この駅をごらん、終点だろう。どこにも続いていない。役目を終えた電車がここに来る。自分で来るんだ、一人でね。そして捕食される。いつか羽化すると言われている。いつかは、まだ。
次は けもの池
Next Kemonoike
けもの道ってあるでしょう。山の動物が通ったところに自然にできる道。ここはけもの池。山の動物が水を飲むところに自然にできる池だよ。自然にできる池だから、魚も藻も、倒木も沈んでいて、小さな動物も大きな動物も、鳥も虫も水を飲みにくる。時々山の主様が泳いで、水辺の動物を丸呑みにする。
次は 芋プラーザ
Next Imo Plaza
おいしいお芋、いっぱいのお芋。芋プラーザは今日も豊作。芋は根や地下茎に澱粉質の栄養を溜める。土の栄養が芋になる。ここのお芋は線路脇に植えられていて、電車の振動エネルギーを地下茎に溜める。そんな夢みたいなことを考えた人が昔、いたんだね。夢は夢、お芋は今日も夢を見ながら身を太らせる。
次は ゆめかわ石
Next Yumekawaishi
悪夢は身体に染み込んだ悪疫のごときこの現実が身体を通して再び現世へ染み出していく過程である。理不尽や不条理が猖獗を極めるのを防ぐため、枕に罠を張り、野槌の皮で作った落とし穴に落として包む。皮はできるだけ小さくする。石のようになった悪夢を河原に積む。軒下に積む。原に積む。
次は 砂漠海岸
Next Sabakukaigan
砂漠と砂浜は違うんだって、だからここは砂浜じゃなくて砂漠なんだ。触るとわかる。ここの砂はさらさらしている。乾いている。水分がなくて生物は生きられない。昔は海というものがあって、ここは記録にある最後の海岸線だった。だから私たちの目には海が映る。潮汐が見える。潮のにおいがするほどに。
次は ちょうちょ仲町
Next Chōchonakachō
蝶々は一頭、二頭って数えますでしょ。昔は馬や牛の代わりに労役をしていたんですよ。本当ですよ、お蚕様だってそうでしょ。あれは糸を吐くけれど、この子たちは畑を耕して荷を運んでいたんです。機械が入ってこの子たちはお払い箱。どこへなりとも飛んでいけばいいのに、まだここにいるんです。
次は 芋洗谷
Next Imoaraitani
年に一度、谷を流れる川が増水し、大量の芋が流れ込む。谷はそれなりに広いが芋はそれ以上に多く、互いにぶつかり、谷肌に削られ、岩に川底に揉まれ洗われ下流へと流される。瀬にひっかかり、河原に打ち上げられた芋を人が拾う。うまい芋だが上流に芋畑はなく、どこから来たのか誰も知らない。
次は 狐山口
Next Kitsunesan-guchi
きつねさん、なんて気軽に呼んだらあかん。ものすごい神さんやからえらい怒らはる。イヌとキツネが分化した頃から生きてはる最古のキツネ族や。そら怒るわいな、せやけど知らん人もおるし、怒らはる度にここら一体ぺんぺん草も生えんようにされたらかなわん。やからあの山、きつねさんて名前にしてん。
次は ポニテ八幡
Next Ponitehachiman
畑を開墾しようと荒地を掘っていたら、仏像が出た。いや仏かどうかはわからない。表面は削れていた。でも何かいわくありげだって掘り出して、ここにお社を建てた。ほらここ、髪を高い位置でくくっているように見えるだろ。でも髪じゃないかもしれないなあ、こっちが正面なのかもなあ、って百年。
次は マジカルゲートウェイ
Next Magical Gateway
駅のあちら側は魔術性を帯びている。と言って降りたり住んだり乗り換えたりするのに何か特別な資格や特質がいる、というわけではない。駅はただの駅であり、作られれば誰もが乗り降りできる、そういうものだ。箒に乗って飛ぶ魔女はいない。杖をかざす白髪の老人もいない。ただ時々、アポロの降りたはずの月が笑う。
次は エモ丘
Next Emooka
この丘に立つとノスタルジーを刺激されたり、「あ、いいな」という気持ちになったりする。古来よりこの丘に立つと「をかし」と言われていた。草原に煮炊きの煙が細く立ち昇る村ができ、町となり、川は埋められて汚れ、ビルが建ち、丘から何も見えなくなった今も、ここに立つとどこか感情を刺激される。
次は 蜥蜴橋前
Next Tokagebashi-mae
蜥蜴橋にはいつも蜥蜴の影が落ちている。何、あの山の岩影がそう見えるだけさ。ここはいつも夕暮みたいに日が低い。影は長ぁく伸びてここまで届く。いつも影の中だから橋は寒々としている。夏場はよく子供達が遊んでる。さ、ここからなら見えるだろ。蜥蜴橋の影、あの岩の影、太古の蜥蜴の大きな影が。
次は きりん坂
Next Kirinsaka
登りきるとキリンの背丈と同じくらい。だからきりん坂。本当は入場料を払って入らないといけない動物園だけど、きりん坂のてっぺんに登ると、キリン舎に帰るキリンが見える。運が良ければ。キリンの頭はきりん坂のてっぺんのわたしたちの足と同じ高さにあった。大きな頭。頭蓋骨。乗せて歩く。
次は 生山
Next Namayama
おや、来たんですか。遠かったでしょう。いえ、最近はあまり……というよりここ二十年はほとんど。世代交代のせいでしょうか。ここも最初は珍しい生の山だって、たくさん人が来たものです。今は全てが均されていますからね。高い山、深い海、そんなものはもう、ノスタルジーすら遠いのでしょうね。
次は しなび浦
Next Shinabiura
生命の海なんてもんじゃない。漬けるとみんな、ほら、しなびていくだろう。水分を吸い取っているんだ。吸血鬼ならぬ吸水鬼というわけだ。この浦に生物はいない。枯れた植物と岩ばかり。雨が降ると元気になる。嵐の日は、地獄のようだよ。生き物も植物も触れたそばからしなびていく。
次は ゼリー新都心
Next Jelly Shin-toshin
寄せられている。都心は元は古い都、城主の館を中心に役所とか、警察署とか、病院とか、駅とか、学校とかをぐるうりと作っていったのでそれぞれが微妙に遠くて不便である。だから中心部を丸ごと、ゼリー寄せにして、駅も病院も、団地も踏切も、動物園も公園の雲梯も、皆綺麗に段々になって並んでいる。
次は カビ浜
Next Kabihama
発生源は一匹の魚であったと言われている。魚は成長に限界がない。何十年、ひょっとしたら百年、千年生きた巨大な魚がいた。魚の胃にはカビがいた。木切れか何かにくっついて飲まれ、胃の中のゴミを転々として生きていた。その魚が死んだことで胃から広がって……あとはご覧の通り。じきにあんたの街も飲まれるだろう。
次は ポテト瀬
Next Potato-se
ジャガイモのような石ばかりがゴロゴロと転がっている。瀬は浅いが速く、腹を空かせた遭難者が水に這いつくばると手足をとってそこに転ばす。そうなって助かった者はいない。ジャガイモのような石たちはあくまで石だが、いつかほんもののジャガイモになるために栄養が必要なのだ、と、思っている。
次は すってんてん本町
Next Suttentenhommachi
金もない、家もない、何もかもなくした奴らが集まってくる。無一文は無一文なりに序列があって、外とはあべこべに一番何もない奴が一番偉い。とはいえ本当に何もなかったら生きていけないので、無いなりにあるものを融通し合うのだが、真に無一物の、つまり死者には、ああ私らには何もできないよ、と、ただ目を伏せて通り過ぎる。
次は ぶきみ不動
Next Bukimifudō
何の変哲もない不動尊である。作法通りの一面二臂の怒り顔、剣と縄を持ちお堂の中央に在しましている。夜中に動くとか話すとか、そういう話も聞かない。小耳に挟んだ噂では、この不動は不気味なものを調伏する。住人は皆不安一つもたず暮らし、安らかに死ぬ。死んだら誰かが転居してくる。不安な誰かが。そういう町だ。
次は 無敵渚
Next Mutekinagisa
敵うものがいないほど強いのではない。敵となるものがいないのである。生き物がいないのではなく、穏やかな海というわけでもない。そこに住まう一匹の貝、の中の小さなカニ、に仇なすものは全て排除される。カニの甲の上には世界が一つ。その世界には神が一柱。信仰の続く限り、神は世界を壊す可能性を食らい続ける。
次は 虚無ヶ島
Next Kyomugashima
島がある。人口動態調査があり動植物の分布調査があり、港があり町並みがある。Googleアースで見ると、庭先で犬がキョトンとした顔でこちらを見ている写真があって人気だ。しかし、それらの全て現実には存在しない。記録の上では存在している。記録の上でのみ、存在している。だから戸籍があり、過去帳がある。
次は つらみ仲台
Next Tsuraminakadai
古い地名だ。つらみは面でも列でもなく、辛い苦しいで、「つらみ」はつらいのでという意味になる。何がつらいのかは知らない。ここに住んできた人の抱えたつらさだろう。かつてこの地は要塞にもなりそうな小高く鼻先のように突き出た崖があったというが、言えぬままに捨てられたつらさで、埋まって丘になったということだ。
次は ひじき観音
Next Hijikikannon
信心深いひじき漁師が観音菩薩の導きで不毛の海から糧を得たという話が伝わるここではひじきをお供えするのが慣習だ。けどうちほんまはひじき嫌いやねんと観音様。正確には観音様に化けたたぬきだ。「助けたんかてほんの気まぐれやねんけどなあ」余ってるから食べてって、とたぬきは尻尾と一緒にひじきの煮物を出す。
次は 呼吸の科学館
Next Kokyū-no-kagakukan
ここは呼吸の科学館。呼吸とは、外気を吸って吐くこと。吸って体内物質を変質させ、その過程で生じた物質を排出すること。とある物質を体内の液体部分で交換すること。月の環境に適応した私たちが失って久しい機能、その科学的・考古学的知見の集大成を展示しています。特別展のチケットで常設展示も見られます。
次は くま園
Next Kumaen
熊という生き物は地名に残っている。くま園は世界中からたくさんの熊を集めて、檻や囲いの中に入れて展示していた。そう、熊は世界中にいたし、何種類もいたのだよ。主に北半球だが北の果てまで熊は生きていた。やがて熊は次元の裂け目を見つけて去った。サイもシカもワニもイノシシもね。皆いたんだ。今は地名にだけいる。
次は 狸調布
Next Tanukichōfu
狸にも社会がある。化け狸どもの社会である。社会があるので税制度もあり、ここ狸調布はかつてのいわゆる租庸調、布による納税が盛んであったことに由来する。とはいえ狸社会なので布の正体は木の葉や木漏れ日、ススキの穂。これでは社会など成り立たぬ。化けの皮を剥がれた布は、ひらりひらりと風に舞い、全ては夢、夢幻。
次は 奇蹟遊園
Next Kiseki-yūen
この世には神というものがおり、その神の起こす様々な現象を「奇蹟」と呼ぶ。その認定には約500項目の条件を満たした上で機に応じて召集される専門家会議における全会一致を経なければならない。ここ奇蹟遊園は十三番目に認定された奇蹟の跡地であり、ここで子供らが遊ぶのは神のご意志である。
次は 独り宮
Next Hitorimiya
一年365日、たった一人で籠る役目は籤で決められた。制限はなく籤が引ける者なら誰でも良い。宮籠りの後は報奨が出るのでそれなりに参加者がいたらしいが今は廃れている。先に365日と言ったが閏年も同じく365日の籠りと決まっていて、余った一日はしかし、どこへ行っても人の姿を見ないので大抵海を見て過ごした。
次は 灰色沼
Next Haiironuma
美しい沼である。静かな沼である。風の吹かない森の奥にあって水面は凪いでいる。誰も来ず、水を飲みにくる鳥獣もいない。波の決して立たない水面は沼のはるか上の空を映し出して灰色である。空は曇りで日はささない。ずっとどんより、雲がかかる。何年も何年も、ずうっと空は灰色で、だから沼も灰色だ。
次は 綿飴港
Next Wataamekō
固有生物の藻類と人間の出す化学物質の作用らしい。春になると細く白い綿のようなものが海面に浮いて打ち寄せる。焦げた砂糖に似た甘く香ばしい香りがする。飢えた子はそれに引き寄せられて海に落ち、そうすると戻らない。貝になるといって口にされず、従ってどの貝も大きく育つ。私のきょうだい/子供/幼馴染の代わりに。
次は 忘れ本町
Next Wasurehonchō
どうしても胸を圧して苦しいものがあるとき、それを取り除いてしまいたいとき、この町に行くといい。この町で幾晩かを過ごすと忘れられるから。それにまつわる大切な思い出も丸ごと忘れてしまうけれど、街角にいくつも立つ道祖神は、組んだ手の中に7777の思い出を温めている。だから忘れるけれど、失われることはない。
次は アジャラカモクレンの丘
Next Ajarakamokuren-no-oka
そこへ行けば死を追い払うことができるという。アジャラカモクレンの花の香りは死神を追い払い、死すべき運命を遠ざける。しかしそれは花の咲く間だけで、散る頃には、丘の外に追いやられていた無数の死が静かにやってくる。死は無言で素早く近づく。丘の上に張られた無数のテントの中で、今際の息が一斉に吐かれる。
次は 大変大町
Next Taihen-ōmachi
ここは何日おきかに大きく町並みが変わる。住所はあってないようなもんだが、まあ、慣れればそんなに不便じゃない。大町とは名ばかりの小さな町だし、星も太陽もいつもと同じだからね。蜃気楼は大きな蛤の吐いた息というけれど、ここは大きな蛇神様のとぐろの上に建てた町、神様の寝返りのたびに町並みが変わるのさ。
次は 鯨大蔵
Next Kujiraōkura
ここは鯨の統べる地であった、というのも土地の大半は海底が隆起してできたからだ。まだ海水で濡れる土地をヒトビトが踏み家を建てた。家屋の広さに応じて租税を納める決まりだったのでここらの家は皆寝起きする最低限の広さしかないが庭が広い。租税は小舟に入れて海に流し、そうすると受領の書き付けが月夜の晩に届いた。
次は 中ぎこちな江
Next Naka-Gikochinae
かなり最初の方に作られて、しかももう古いので動きはだいぶぎこちない。打ち寄せて岩に砕ける波も、波間を泳ぐ魚も、海底に埋まる貝も、飛んでくる鳥も、プランクトンも。藻なんて光合成もうまくいってないみたいだもんな。だけど昔はもう少し滑らかだったし、まめに修理していればあと数万年は大丈夫。
次は おやさい仲町
Next Oyasainakachō
ヒトの代わりにお野菜たちが暮らしている。ここにはヒトがいるふりをしなければ、大きな箱がやってきて、町を畳んで仕舞い込む。お野菜たちに割り箸や菜箸、れんげや包丁で手足をつけて、道や玄関や窓際やトイレに並べている。萎びたら取り替える。誰かがやってくれている。ヒトがいないからいるふりをしているはずなのに。
次は 三日月調布
Next Mikazukichōfu
三日月の日だけ現れる。満月調布や半月調布はない。「昔はあったんですけどね。やっぱり不便ですからねえ。人が減って合併したんです」町名はくじ引きで決められた。新月の日、東京駅でくじを入れた箱を持ち、通りがかった子供に引いてもらった。今もまだくじは箱ごと残っていて、三日月を欠いた全ての月が眠っている。
次は 欲望記念公園
Next Yokubō-kinen-kōen
なければないで何とかなる。でもなかったことにはできないじゃないですか。今まで作られてきたもののほとんど、原動力は欲望で、描かれているものも欲望です。だからこうして記念公園を作って、欲望というものの輪郭を残しているんです。輪郭よりは残り香みたいなささやかなものかも。でも、ずっと一緒にいましたからね。
次は アニマル府中
Next Animal-fuchū
豈丸という、かつては漢字が当てられていたが馴染みのない字なので仮名に開いたのである。平仮名か片仮名かで言えば断然片仮名、とすぐ決まった。だから英単語のanimalとは本来関係がないのだが今は忘れられ、駅名もそう記される。この土地も私はAnimalと思っているらしく月夜などには家々の壁に獣の影が映る。
次は 甘々塚
Next Amaamatsuka
甘い匂いがする。砂糖のようでもあり発酵した果実のようでもある。あるいは花であろうか。塚にいるのはそのどれでもなく、蟻と同様の社会性昆虫の一種で、甘い匂いを発して生き物をおびきよせて襲う。襲うのは食うためではなく新たな塚にするためだ。そうして少しずつ移動するが、時々、海に近づきすぎて、溺れてしまう。
次は 中彼ヶ山
Next Naka-Karegayama
あの人がいる。あの人に会える。そういう場所だ。彼は「あれ」で、元来呼び名を男と女の二つしかないみたいに二分する言葉ではなかった。遠くにいればいるほど会う確率は高くなる。木々の枝の重なり、斜面の凹凸、虫の群、があの人の姿を取る。しかし本当に遠いつまり死者は会えず、行方不明の関係者が時々山に入り、帰る。
次は 琺瑯新町
Next Hōrōshimmachi
琺瑯がどうやってできているかご存知? 金属に釉薬を焼きつける。ここらの石もそうやってできている。つまり、核が金属で、周りはガラス質の表皮が焼きついている形だ。そう、皮だよ、これは生物の皮膚みたいに、この岩っころたちを錆から守ってる。岩っころさ、生きているもの。動いているよ、長い目でみると。
次は 誰か塚
Next Darekazuka
名も知らぬ姿も知らぬ、見知らぬ「ひと」という人々、この世にいた生き物らしい、その塚々が並ぶ。個体または血縁単位で塚があり、滅んだ肉体を加工して埋める。一種の儀礼であったようだ。個体の係累が加工を行うことまでは分かっている。個体名は、残念ながら言語構造があまりに異なるため不明、ただ「誰か」と呼ばれる。
次は 泪ヶ浜
Next Namidagahama
大きな女だったが心臓は人より小さくて、いつもどやされていた。あの女なら誰も勝てやしないのに、一度も乱暴はしなかった。代わりに泣いたが泣くたび何故か大きくなるんだね。何があったんだろうね、あの日は胸を引き絞るような声で泣いたっけ。それでぐんぐん大きくなって、突然弾けて砂になった。涙は海に。それがここ。
次は 小粋池
Next Koikiike
ローマ字部分を見てもらえばわかる通り、kとiが三つずつ使われているだろう。これが駅名の条件だった。他のアルファベットは先にできてた駅で大体使われてて、よく使うからとちょっと多めに作ったら余ってしまったkとiを入れて駅名にした。地名も駅も新しくするつもりで、子供の遊びみたいに、僕らはまだ若い種だから。
次は プニプニ御苑
Next Punipuni-gyoen
構成するものは樹齢数百年という樹木から砂利の一粒に至るまで、全て角のない、独特の弾力のある素材でできている。できているというより置き換わっている。いつの間にか。たった一晩、定時に閉鎖し、定時に開けるその間に。中央の建物は自重で潰れぐずぐずになっていた。何物をも傷つけないが、景観を損ねると撤去された。
次は ハマチ八幡
Next Hamachiyawata
ハマチは浜待ち、「ま」が一つ落ちてハマチになった。浜を待つのは海である。海は寄せては返し寄せては返して浜をこっちに引き込もうとするが、寄せてくるときに浜を陸へと戻してしまう。浜は陸の子か海の子か、まだ決着がついていないんだね。八幡神社なんて後からできた若造だもの、仲裁なんてできないさ。
次は 叫び緑地
Next Sakebiryokuchi
ここの草々は非常に強く、お互いの根を絡めあって地面を覆う。堅固に絡まりあうため土壌から浮いてしまうこともあり、踏むと空気が抜け人の叫び声のような音がする。紛らわしいのと危険なのとで立ち入り禁止の叫び緑地を一人が走る。故郷に背を向け力強く地面を踏む足元を、叫び声が追いかける。ファンファーレのように。
次は ちょうちょ神宮前
Next Chōchojingu-mae
春になると蛹から羽化した春の蝶々たちが集まってお宮を作る。本物のそれではない、無数の蝶々が山の一角に集まって、さながら神殿のように見えるのをそう呼ぶ。蝶の成虫の寿命は七日、長くて九日、死んだ蝶々は地面に落ちて子らを養う。蝶の幼虫は草食のはずだのに、何が孵っているのだろう。
次は オーボエ屋敷
Next Ōboeyashiki
由緒ある立派なお屋敷だったが今は人も去り、犬も去り、鳥も虫も去り、家財道具は運び出されてオーボエだけが住んでいる。屋敷を建てた初代がウィーンで買ってきたものだがどういうわけか取り残された。夜な夜な屋敷を動き回っているらしく、見ると毎回位置が違う。演奏は聞こえない。息を吹き込む人がいないから。
次は おかゆの里
Next Okayu-no-sato
病気になった動物がここに来る。山奥の泉に滋養のある泥が溜まっていて、それを啜りに来る。古くは地元の人間も出産やら病気やらの折には親族や知人が泥を掬って食べさせた。近代医療が発達してからはそのようなこともなかったと聞くが、今でもこっそり行く人はいて、泉の周りには、病の生き物たちがひっそり集まっている。
次は 電子新田
Next Denshishinden
物理的に大きなものは持っていけないというから電子化して持っていくことにした。私の土地、私たちの土地、田畑、植っている一本一本の稲と雑草と生き物と、その遺伝子も全て。向こうで同じことができると思っていなかった。でもいざこっちで目が覚めてみたら、――なんとまあ、新しい田が一枚。これはきっと川太郎の仕業に違いない。昔話に聞かされた。川太郎は河童だった。いたずらをして見逃してもらう代わりに田んぼを一枚作ったと。お前も一緒に来たのだね。まだ一緒にいたのだね。
次は 薔薇八景
Next Barahakkei
色・形・自然界での位置・ゲノム・匂い・絶対0度に対する座標軸・経典における出現頻度・味の八つの側面から薔薇を分析し、その結果を平面に並べたのがこの薔薇園である。我々にとっては意味不明の図形や表の羅列でかろうじて色・形がわかるくらいだが、薔薇は人のためのものではない。この園は捧げ物である。だから良い。
次は 下怖仏
Next Shimo-Kowabutsu
怖い、も一つの執念やさかいに、仏修行では捨てなあかんのです。明日地震が起きたらどないしょう、怒られたら嫌や、学校行くんが怖い、オトトグモを見たあない、なんてね。あの仏さんの手のひらふっくらしてはりますでしょ。あの手のひらに怖いを全部乗せて、三千世界、怖いもんが怖ないとこまで連れていくんです。
次は 虚商業前
Next Kyoshōgyō-mae
お金いうんは虚ろも虚ろ、あれ自体に価値はあらず、交換されるものに価値があるんです。これだけのものに交換できるいう約束事がお金です。せやから虚、これは戒め。虚を実にし、実を回すのが商売です。虚が虚を生むようになれば実の居場所は無うなります。弾き出された実ではち切れて、ね、創世されたのがこの宇宙。
次は カビヶ久保
Next Kabigakubo
窪地だからか日当たりが悪い。日当たりが悪いのでカビが生える。カビは地面を覆い、しゅくしゅく、有機物を分解する。ただ生える場所に生えている。そのはずなのに地図になる。このカビに何の記憶があるのやら、かつて存在したことのない町の地図が浮かび上がる。番地まで、カビ色になって、いつかある町の姿を描いている。
次は 油ノ庄
Next Aburanoshō
アブラゼミはここ以外じゃ油を取るのに使わないんだってね。いや虫から直接取るわけじゃない。アブラゼミの声は油を呼ぶ。だから捕まえて籠に入れて、油桶の上に吊るして鳴かせるんだ。蝉取は子供の仕事でね、少しでも長く鳴く蝉を探したもんだ。蝉が途中で鳴きやめば呼んだ油が戻ってしまう。死んだ蝉を何度恨んだことか。
次は 山椒平
Next Sanshōdaira
山椒は小粒でもぴりりと辛い。ここも狭いがなかなかいい土地なんだ。山のてっぺんだから行きづらいけど、何、何でもあるから何でもないさ。こんな狭い土地に、駅、病院、学校、スーパー、博物館、歯車工場、発着場、ホテル、公園、落とし場、脈時計、ごきしゅいたん、何でもある。何でもありすぎて人は一人っきゃ入れない。