姓はカラマーゾフ、父称はフョードロヴィチ、本来なら尊敬を込めてイワン・フョードロヴィチと呼ばねばならないが、誰もそんなふうには呼んでいなくて、ただワーニャとかワーニャおじさんと呼ばれていた。あるいは詩人のワーニャ。この村にはワーニャがたくさんいて、お仕事や住み家に応じて鍛冶屋のワーニャとか藁屋根のワーニャとか呼ばれていたが、この新しく来たワーニャも、姓でもイワン・フョードロヴィチでもなく詩人のワーニャと呼ばれた。
私はワーニャおじさんと呼んでいた。本当はおじさんというよりじいさんと呼んだ方がいいくらいだった。ワーニャおじさんは、この村の入り口の、目抜き通りに続く広い泥道の端っこに倒れていた。ぼろをまとい、脇には杖。ワーニャおじさんを見つけたイリューシャは最初死体だと思って司祭様を呼びかけて、生きているとわかって、でもお医者様は隣の村にしかいないのでやっぱり司祭様を呼びに行った。病人を寝かせられるような場所はそこしかなかった。目を覚ましたワーニャおじさんは、最初看病を拒んですぐにも出発しようとしたけれど司祭様が止めた。病気じゃないと言い張っていたけれど、たくさん咳をしていて明らかに病気だった。家族はもう亡く、お金もない。全てを無くしてからおじさんは巡礼に出た。そういう話は後から聞いた。
ワーニャおじさんは貴族だった。しゃべり方ですぐ分かった。教養があるならきっと詩も作れると言って誰からともなく詩人のワーニャと呼ぶようになった。ワーニャおじさんは、詩なんて一行だって書いたことはないのにと困ったような顔をしながら自分の作ったお話を聞かせてくれた。私たちのお気に入りは千兆キロを歩いた男の話で、来世を否定した罰に何億年もかけて千兆キロを歩き通した末に、天国の扉の前で、千兆キロを千兆倍して、さらにそれを千兆倍した距離だって歩き通してみせるぞ! と叫んだところで皆んなきゃっきゃと笑ったのだった。おじさんは切り株とか、石とか、古いベンチなんかに座ってその話をしていたが、その瞬間はガバッと立ち上がって両腕を天に上げ、素っ頓狂な声で叫ぶ。私たちはわあっと声を上げて夏草に倒れ込んだ。ワーニャおじさんは幸せそうにそれを見ていたけれど、時々激しく咳き込んだ。
——さあ、お客様にあまり無理をさせてはいけませんよ。子供は子供同士で遊びなさい。
司祭様はそう言って私たちを追い払う。けれども本当はおじさんの方が私たちを呼んだのだ。おじさんはよく外で日向ぼっこをしていた。聖書を読むか、そうでなければどこか遠くの方を見つめて、小さく口を動かしている。私たちはそれを遠巻きにしている。するとある時口の動きが止まる。ワーニャおじさんが立ち上がり「おや、何か気配がするぞ。子うさぎかな、子ねずみかな」と言う。それは鬼ごっこの合図で、私たちはそうっと足音を殺しておじさんの方へ近づく。おじさんがキョロキョロするので、視界に入らないように、あっちへ走り、こっちへ駆けて距離を縮めていく。ワーニャおじさんはとても背が高かった。その背をさらにぐうっと伸ばして、体ごと顔を左右に振る。私たちはおじさんに見つからないよう背を低くして四方八方から忍び寄る。誰かがおじさんの体に触れたらそれでおしまい。おじさんは大袈裟に驚いてぴょんと飛び上がり、私たちはケラケラ笑いながら逃げた。私たちは年の近いきょうだいみたいに遊んだ。おじさんは一番大きな、新参者のきょうだいだった。
おじさんのところには文字や勉強を習う人が来た。文字を知っていれば危ない仕事につかなくていいし、首都でもっといいお仕事がもらえるかもしれない。私の父さんは皇帝がお造りになる新しい鉄道の線路を敷きに行って、そこで死んだ。そんな子は村にたくさんいて、いつでも誰かが出稼ぎでいなかった。出稼ぎに行った兄さんたちや父さんたちの代わりに私たちが働く。兄さんや父さんほどには働けなくて、母さんは癇癪を起こし、怠け者と言って私をぶつ。私は泣いて、母さんも泣く。
あの恐ろしい冬がやってきた日、私は曇った北の空を飛ぶ悪霊を見た。それは鳥か、さもなくば見間違いだと母さんは言ったけれど、あれは確かに悪霊だった。重たい雲の覆う十月の初めの日に黒い影が飛び、それからあっという間に冬が来た。いつもよりずっと早く、ずっと長い冬だった。
この年はあまり作物が育たなかった。残り少ない家畜も潰さなければならなかった。でも私たちは大丈夫だと思っていた。一番ひどい年ではないと。けれども出稼ぎに行った人たちが、ほんの少しの現金だけを持って帰ったとき、恐ろしいことが起こっているのに気づいた。食糧は買えなかった。市中のどこにもなかったと父たちは、兄たちは、うなだれた。お金は残してあったのではなく、それっぽっちでは何も買えなくて残ってしまったのだ。頼みの綱も切れて、この先には、ただ暗く深くなってゆく冬が横たわっていた。
まずほんの小さな子供から死んだ。次にお年寄りが死んだ。次の春が来たら困るとわかっていたけれど、馬を潰した。司祭様の娘が死んだ時、司祭様は真っ赤に泣き腫らした目を暗く沈ませて、ワーニャおじさんにポツリと言った。
「私はね、決して言いませんよ。あなたが私の娘の分の食べ物を奪ったからあの子が死んだなんていうことは……」
司祭様の言った通り、私たちは誰もそんなことは言わなかった。代わりに詩人のワーニャと言う響きに蔑みが混じるようになった。何もしないし何もできない、役立たずのワーニャ。ワーニャおじさんはその時も司祭様の家で暮らしていたけれど、外に出ることは滅多になくなった。たまの晴れ間、おじさんは窓辺にいる。聖書はない。取り上げられたのだ。大人たちはよく司祭様の家に集まって相談をしていた。ワーニャおじさんはそこに混ぜてもらえなかった。あるいはその逆かもしれない。私はそこに連れて行ってもらったことはなかったけれど、窓辺にいるワーニャおじさんの顔は、日を追うごとに腫れ、あざが増え、まぶたが切れた。
それでも、ワーニャおじさんは生き残った。大人も、子供も、大勢が生き残れなかった村で、ワーニャおじさんは生き残り、追い出されるように出て行った。
まだ春になる前だった。村のあちこちに雪が溶け残り、夜には凍る泥が道を覆っていた。ワーニャおじさんは来た時と同じぼろを着て杖をついていた。私たちは家の中や道の脇からそれを眺めた。立ち止まったり、道をそれたりしないように。ワーニャおじさんを見る目が鋭いのは痩せ果てていたせいもあった。誰もが飢え、長い冬に疲れていたが、ワーニャおじさんは誰よりもやつれ、傷つき、一歩歩くごとにあえいでいた。
ワーニャおじさんは村を出て最初の雑木林のところで倒れた。私がそれを知っているのは、こっそり村を抜け出しておじさんを追いかけたからだ。私が追いついた頃にはおじさんは地面に倒れ伏して動かなかった。しゃがんで顔を覗き込むと、ところどころ青黒く腫れ、上唇は切れて膿んでいる。垢と傷んだ苔の混じったようなひどい臭いがした。今度こそ死んだのかしらと思ったら、おじさんがパチリと目を開けた。目の半分塞がった顔で、君かと言って微笑み、地面に肘をついて立ちあがろうとした。私はおじさんの脇に肩を入れて支え、立ち上がるのを手伝った。
立ち上がったおじさんは、私を見て途方に暮れたような顔をして、服を泥まみれにしてすまないねと言った。私はいいのよと言いたかったけれど言えなかった。その時もうひどくしゃくりあげ始めていたから。
ワーニャおじさんはその場に膝をついて杖を置き、私の泥だらけの手を両手で握りしめた。おじさんの手は思いもかけないくらいに温かかった。骨ばった指先は氷みたいに冷たいのに、手のひらは温かく、力強く脈打つ血が氷まじりの泥を溶かした。
その時おじさんの言ったことを、私は一字一句覚えている。
「君はなんて苦しみを抱えているんでしょう!」おじさんはそう言って私よりも激しく泣き出した。
「僕たちは何てたくさんの涙を流させていることでしょう! いいえ、僕たちなんて言いましたが、中でも僕が一番罪深いんです、僕はどうしようもない人間です、罪深い人間なんです! 僕はある人の涙の前を通り過ぎて雪の中に置き去りにしました……苦しみの中に置き去りにしました! その人は死にました。そうせざるを得ない場所に僕が突き飛ばしたんです。そして歩き去りました……。僕はね、アーニャ、ひょっとしたらそのために歩いているのかもしれません。僕は時々神様も自分も信じられなくなります(秘密ですよ)! だけど歩き続けなければならない、そう神様が仰せだとも思うんです。いえ、たとえ神様がそう仰せでなくとも僕はそうしなければならない。アーニャ、君の涙を見て僕は嬉しくなったんですよ、なぜって君と僕はきっとお互いに涙を分かち合うことができると思ったからです。僕の思い込みでしょうか、違う? ああ、頷いてくれるんだね! 僕たちはそうできますね、祈りを分かち合えますね!」
それから私の手を離して後ろを向かせ、「もう戻りなさい。皆心配しているから」と言った。誰も私のことなんか心配していない、母さんももういないから……だけど私はワーニャおじさんの言う通りにした。少し進んでから振り返ると、ワーニャおじさんはその場に膝をついたまま、千兆キロの話で転げ回る私たちを見ていた時と同じ、喜びに満ちた目で私を見つめていた。
その後私は成長し、結婚した。司祭様が身寄りのない子たちを引き取って、一人前になるまで面倒を見てくれたのだ。その間に大きな戦争があり、飢饉があった。皇帝は倒れソビエトとなり、土地は私たちの大地ではなく共同所有地になった。そしてまた飢饉……。あの恐ろしい冬はやはり一番ひどい年ではなかった。私が私たちと呼ぶ、私の母、私の友達、きょうだい、私の魂の一部が次々に死んでいったにしても。この年の死者名簿はしばらく前から更新されていなかった。死者の数に役所の仕事が追いつかなかった。それに誰がわざわざ書類を出しに行くだろう。生まれた子供は役所へ行く間に死んでしまうし、親の死んだ子は親と一緒に死体運びの橇に乗せられる。遅かれ早かれ同じことになるからだ。このことを国家は知らず、記録もない。この冬が来るとき私は悪霊を見なかった。ソビエトにはもう悪霊は棲んでいなかった。私たちが悪鬼だった。
ワーニャおじさんがどうなったのか私は知らない。生きていたとしてもたいそうなおじいさんだろう。私の理性はあの人はきっと亡くなったと言う。それなのに私は、今も巡礼を続ける詩人のワーニャを思い浮かべる。おじさんは相変わらずぼろをまとい、老いてしなび、しかし並外れた頑丈な体で歩き続ける。おじさんの家族、二人の兄と一人の弟、父さんと母さんたち、イリューシャ、サーシャ、アガーシャ、ミーシャ、コーリャ、ナージャ、ソーニャ……死んだ子供たちの名前を呼び、祈りながら暗闇を歩き続ける。天国までの千兆キロを歩き通し、門の前へと辿り着いて、それでも死者の名を唱え終わらないならば、門に背を向け、引き返して、千兆キロの千兆倍を歩き続ける。
子供の声は絶え、飢えと寒さの満ちる部屋でただ眠るために、私はその光景を夢に見る。