リラの花たち

 アリョーシャ、私のところに来る時には花を持ってきて、でも薔薇なんか嫌、香りのいい花がいいわ、と今朝婚約者が手紙を書いて寄越したので、アレクセイ・カラマーゾフは近所の人に掛け合ってライラックの枝を切らせてもらった。
 リーザはこの頃機嫌が悪い。初夏は決まってそうだった。夏は好きだけれど、夏の短さが気に食わないのだという。日が長くなっていくのにわくわくするのと、すぐに終わってしまう寂しさが同時にやってきて、どうしてもいらいらしてしまう。
 そんなことを考えるよりも今、目の前の夏を楽しめばいい—— と、アリョーシャは決して言わないし、思わない。ただ彼女が花を気に入ってくれればいいけれど、と思う。
 ライラックの枝を片手に抱いて歩いていると、蜂が飛んでくる。修道院で育てている蜜蜂かもしれない。蜂は紫の小さな花弁の上でしばらくもぞもぞと足を動かしていたが、やがてぷいんと飛んで行った。枝を切ると蜜は無くなってしまうのだろうか。花からは優しい香りがほのかにしている。
 リーザを訪ねると、まずは応接間に通され、それからリーザの部屋に通されるが、その前に大抵は母親のホフラコーワ夫人がやってくる。その時もそうだったが、アリョーシャがライラックを生けてくれるように頼むと、ホフラコーワ夫人はまあ、とまるで初めてその花を見た少女のように歓声をあげた。
「リラね。私も大好きな花ですわ」
「リーズが香りのいい花を、というので」
「まあ、アレクセイ・フョードロヴィチ」
とホフラコーワ夫人が嘆息した。
「リラは枝を切ってしまうと香りがなくなってしまいますのよ」
「そうなんですか?」
「ええ、でもそんなこと、お気になさる必要はないわ、アレクセイ・フョードロヴィチ。とても綺麗な花ですもの、きっとあの子も気に入るわ。気に入らないと言うかもしれないけれど、それはその時だけでしてよ。あなたもご存じでしょう、この時期はあの子と来たらずっと苛々していて、癇癪を起こしたと思ったら夕方なんかには泣き出してしまいますのよ、それなのに次の日にはケロッとして私にキスをするんですの。まったくあの子にはずっと泣かされっぱなしですわ。あんなに大きな娘さんになってもね。小さい頃そのままだわ。だけど本当に随分と大きくなったこと! アレクセイ・フョードロヴィチ、どうかしら、あの子は素敵な娘さんでしょう? そうではなくて?」
「ええ、その通りです」
 その時リーザが入ってきた。アリョーシャはライラックの花束を抱えたまま立ち上がる。リーザはこの時、すっかり背が高くなって母親の背丈をとっくに抜かしていた。体つきはまだほっそりとしていて、足元も見ないままに、無造作と言えるくらいにずかずかと歩くのに不思議と足音がしない。きびきびとした衣擦れの音が近づくのにアリョーシャは微笑んだ。
「こんにちは、リーズ」
 リーザが当然のようにすんなりした手を差し出すのに口付ける。片手で彼女の手をとってソファに座らせ、そのそばに膝をついた。
「アリョーシャ、ごきげんよう。花を持ってきてくれたのね?」
「うん。だけど、枝を切ってしまったから、香りが消えてしまったんです。知らなくて……」
 リーザは笑い出し、アリョーシャの手から一本ライラックの枝を取って顔に近づけた。
「あら、いいのよ、アリョーシャ、だってちゃんと香りがするわ。緑の香りよ。違う?」
 リーザに差し出された枝からは、確かに、森の下生えを踏んだ時の緑の香りがした。それも、今しがた切ったかのように、生々しいほどに香った。
「いい香りの花だわ。私が手紙で書いた通りの花よ! ママ、早く花瓶に生けさせて! ユーリヤを呼んできてよ!」
 わかったわ、急かさないで、とホフラコーワ夫人が応接間を出る。それを待っていたかのように、リーザがライラックの枝を全部取り上げ、胸に抱き締める。ぽき、と小さな音がした。
「私、夏が嫌いよ。あんなに短いくせに、花でもなんでもばかみたいにたくさん咲くんだもの」
 リーザがすう、と息を吸った。彼女の顔の周りには、折れた枝の、青い匂いがいっぱいにしているに違いなかった。
「あなたはすぐモスクワに帰っちゃうし」
「それなんだけどね、リーズ」
とアリョーシャはごく何でもないことのように切り出した。
「あなたも一緒に来てくれませんか」
「モスクワに?」
「そう」
「つまり結婚したいっていうこと?」
「そうです。いいでしょう?」
 リーザが首を傾げて、ライラックの花を一つ摘んだ。千切れないくらいの弱い力で引っ張りながら微笑む。
「いいわ。でも、まずはママに話さなくちゃね」