最上さんの話


 ロケの最中に猫が乱入してきて、人懐っこい猫で最上さんの足に体を擦り付けて、最上さんも「あっこら、ダメじゃないかこんなところに入って来て。すみませんちょっと猫ちゃんが……ああ、毛が……」とか言っててしばらくロケが中断するんだけど、俺にはそれがどう見ても猫に見えなくて固まっている。
 最上さんがしばらくよーしよーしと撫でていたら満足したのかそれは離れていく。で、ロケの続きをやって、無事に収録が終わる。編集も問題ない。放送の時も何もなかった。
 そういうことが数年前にあって、ふと思い出してその場にいるみんなに話してみる。全然心霊の関係ないロケだったけど、その時のスタッフが何人かいて、えっ、お前も? って言う。何だよお前も? 言えよ。だって最上さんがあまりに普通でさ。俺だけに見えてんのかと思って……。俺も。俺も。猫じゃなかったよな。うん。猫じゃなくて猫くらいの大きさの、人のパーツをごしゃっと練ったものみたいに見えたけど俺にだけそう見えていたら怖いから言わない。

 

Hさん
 ロケでとある廃民家に行った時、最上さんが玄関に入った途端に「あっ、ダメだ」って言ってそこから動かなくなっちゃったことがあったんですね。最上さんていうのは霊能者さんで若い人なんですけどなんかすごい人らしくて。だから僕らも、もうその民家に入ってたんですけど、そんなやばいんですか、って泡食って玄関に戻りました。
 でも最上さんはいやいや、って笑顔で首を横に振る。「私が嫌われているだけなので、皆さんは大丈夫ですよ。でもあんまり奥に行かないで下さいね。私に見える範囲で」と言いました。で、そこから一歩も動かないでニコニコしている。
 ロケはしましたよ。最初はびっくりしましたけど、いざ始めてみたらいつも通りというか。レポーターのタレントさんと一緒に民家を回って、絵になりそうなもの、古い人形とか何かの書き付けとかね。そういうのがあったら撮って、物音もしましたよ。ガタって。いつもは最上さんが、あそこにいるとか気配だけするとか何とか言ってくれるんですけど、その日は玄関の方でね、ニコニコしてて。最上さーんと呼んだら手を振ってくれて。
 で、次に見たらもういないんです。
 最上さんです。ちょっと目を離した隙にいなくなってしまった。ついさっき手を振ってくれたのに、もう最上さんの立っていた場所はもぬけのからで。皆最初はきょとんとしてましたよ。あまりに一瞬だったんです。今そこにいたよね、って、最初は信じられなくて皆半笑いで確かめ合ってたんですけど、そのうちにまずいぞ、と焦りが追いついてきました。嫌われている、と言っていたけれど、こんなに一瞬で消えてしまうなんて、何かまずいことが起こってるんじゃないか。最上さんを嫌っている何かを怒らせてしまったんじゃないか。そんな不安がふっと頭をよぎって、それからはもう我先にという感じでそこから出ました。
 で、最上さん。置いて行ったのか行かれたのか、どこにもいない。でもまたあそこに戻る勇気はない。それで皆で最上さーん、って呼んで、ロケ地の周りをぐるぐる回りました。覚えてますよ、夏でね、真昼間だったんです。よく晴れててねえ。大の大人がかくれんぼしてるみたいで、道ゆく人が変な顔で見てました。日常も日常。あー、ここは全然怪奇現象とか関係ないんだな、って変な気持ちになりました。
 そしたら、最上さんがはーいって、ロケ地の陰からひょっこり出て来たんです。どこ行ってたんですか、って尋ねたら最上さんはきょとんとしている。皆さんを探していたんですよと言う。僕らから見ると最上さんが消えたみたいに見えてたけど、最上さんから見ると僕らが消えていたんですね。
 やあ、随分嫌われてしまいました、でも大丈夫ですよ、と最上さんはニコニコしながら言いました。僕らはもう、何も言えなくて、無言で件のアパートを見上げるしかなかったですよ。
 それからしばらくして、最上さんはテレビタレント自体を辞めてしまいました。お母様がご病気だったとか聞いたかな。
 でね。今でもちょっと考えるんですよ。あの時出て来た最上さんって、本物だったのかなって。だってほら……辞めた後、変な噂が出たじゃないですか。人を呪い殺してるとかなんとか。いやもちろん信じてませんよ。そんな漫画じゃあるまいし。でも何かね、ぞーっとしましたね。
 その時のVTRですか? ありますよ。放送もしました。でも最上さんが突然いなくなったところは、色々話し合ってカットしてしまったんで、何も起こらなかったことになってるはずですよ。

 

M氏
 最上さんがスタジオの壁の一点をじっ……と見続けてて何だろう、怖いなあと思ってあとで聞いたらああすみません、ぼんやりしてましたって言って、なんだよ〜と思ったんだけど、その後なんとなくその壁が気になってしまって仕方がない。何があるとかじゃないんだけど何か気持ち悪い。何の変哲もない壁で、ちょっと確かに薄汚れてるけど、別に何もない。一度気になりだすとずっと気になってしまう。背中を向けていると首の後ろがピリピリする。でもそう思っているのは俺だけじゃなかったみたいで、そのスタジオはあんまり使われなくなって、今は倉庫になっている。ハシゴとか大道具とかがごちゃっと置かれてるんだけど、最上さんが見つめていたあの場所だけ、箱とか棚とか掃除道具とかがぎちぎちに置かれている。

 

Uちゃん
 最近肩が重いし頭も痛いし寝る時にうとうとしてたら悲鳴? みたいな声が聞こえるようになったので、最上さんに相談したらプリンが食べたいと言う。だから局の近所の喫茶店に連れて行った。最上さんは俺の話を聞きながらふんふん頷きながらプリンを食べている。この人ほんとに解決する気あるのかな、って思いつつ話をしていると、だんだん肩が軽くなってきた。頭痛もない。視界もなんだか明るくなった気がする。え? と思っていたら、最上さんがスプーンを突き立てたプリンから「ギャアッ」みたいな声がした。「あ、失敬」と言って最上さんはプリンをぱくぱく食べている。結局、話し終わる頃には頭痛も肩こりも消えて、たぶん今日寝る時には悲鳴も聞こえないだろう。嘘だろう、と俺は思う。「プリン、ご馳走さまでした」と最上さんはにこにこしている。

 

O君
 神隠しに逢ったという方の取材に行った時の話です。もうかなりのご高齢でしたがはっきりとしたお話をされる方で。でもね、話を聞いていると何か違うんですよ。神隠しに逢った、と言っているのになになにに追いかけられて、と言う話から始まって。話を聞いていると、影のような水たまりのような「何か」に常につけられていて、距離を縮められないようにあっちこっち歩いて回ったんだと言うんです。それでふらふら坊なんか言われた、と。
 で、その肝心のなになにが聞き取れない。さっきも言いましたが本当にはっきりとした話をされる方で、他の部分は問題なく聞き取れるのに、そこだけわからない。そこだけ外国語の単語が混じっているような感じでした。訛ってらっしゃるのかな、と思っていたら、一緒に来ていた最上さん、あ、最上さんていうのは霊能者の方で。で、最上さんもなになにに追いかけられたんですか、それは苦労されましたねなんて言ってて。それも全然聞き取れないんです。
 知らない妖怪かなあ、と思ってたんですけどだんだん気持ち悪くなってきてね。そこだけ音声が差し替えになったみたいに聞こえて来て。で、何て言ってるんだろうってじっと耳を傾けてました。神隠しにあった方の口元をじっと見て口の動きを真似したりして。そうすると、何だかわかるような気がして来た。知らない外国語の発音をじっと聞いているとあっ、わかるぞ、って瞬間があるじゃないですか。ああいう感じで、わかるぞ、って感覚になってきたんです。頭文字はあれかな、次に聞こえたらわかるぞって。それでじっと耳を澄ましていたんです。おじいさんの話も佳境で、例のなになにに捕まりそうになって、
 というところで「ちょっといいですか」と、最上さんが話を止めました。僕はもうおじいさんの話に集中していたので、何だよ、と思っていたのですが、最上さんが僕の方をまともに向いて、聞こえない方がいいですよ、と言いました。何がですか、と尋ねたら、「さっきから話題に上がっているものです。あれの名前は聞こえない方がいいですよ」と真顔で言う。じっと瞬きもしないで僕の目をまともに覗き込んで言うんです。おじいさんの方を見たら、おじいさんも同じ顔をしてうん、と頷いている。そこでようやくぞっとしました。自分がやばいところに足を踏み入れかけているのに気づいた。
 そこでおしまい、になればよかったんですけど。さっき、なになにに捕まりそうになって、というところで最上さんが止めたって言ったでしょ。だからね僕、頭文字だけは知ってるんですよ。何か起こるかなあ、と思ってるけど今の所は何もないです。仕事辞めたのはそのせいだと思ってくれていいです。

 


 最上さんは今時の若者というのか、わりとドライな方で内容とギャラによってはヤラセでもいいですよという人だった。自分が関わっていた番組ではその機会はなかったが、年末特番なんかでは時々それっぽいな、というのをやっている。こないだ自分が見たのは、とある古い神社の取材という体でロケをしに行ったら、怪奇現象が起こる、というものだった。怪奇現象と言っても大きな音がするとか照明が落ちるとかだが、カメラがぶれるので何となくそれっぽく見える。混乱する(演技をする)スタッフの中でも最上さんは落ち着いていた。もちろんそういう役どころであるのだが、普段から最上さんのリアクションは大きくない。
 こっちはテレビ局側の人間なので、ああまたやってるなーとぼんやりテレビを見ていたら、あれ、と違和感があった。画面の中の最上さんが、ちらちらとこっちを見ているような気がした。「ええ、そうですね。どうやら我々は」ちら。「彼らを起こしてしまったようです」またちらと目を向ける。
 あ、やっぱり見てるなあ、と思ったが、あまり怖くはなく(なにせ相手は最上さんだし)、むしろ視線はどことなく気遣わしげであるように思えた。気のせいかとも思ったが、念のため病院に行って検査をしてもらったら、首に腫瘍が見つかった。良性ではあるが大きくなると周囲の神経を圧迫することもあるのでとってしまいましょう、ということになった。
 それで、退院してから休みの詫び入れがてら、ディレクターにその話をしたら、「ああ、やっぱあの人本物なんだな」と言った。聞けば、ディレクターも以前VTRのチェック中、画面の中の最上さんが自分を見ていたことがあったらしい。「何度もあったよ。俺は早死にするかもなあ」と言っていたが、最上さんが亡くなった現在もディレクターはピンピンしていて新しい番組の企画に噛んでいる。今は心霊よりも動物だとか言っている。

 

Wさん
 とある山奥の霊場でのロケの時、休憩中に散歩しに行った最上さんが帰って来ないので探しに行ったら、崖のところに立って下を覗いてたので、「危ないですよ」と声をかけたら「あ、そうですね」って振り返って普通に歩いてこっちに来たんだけど、今度は後ろから「え、何がですか?」って最上さんが来た。
 二人の最上さんは、あれ、って顔をして、ちょっとの間二人で何かぼそぼそ話してたけど、すぐに「じゃあ戻りましょうか」ということになった。
「いやでも二人ですよね」
「まあそうですけど」
「どうにかなりますよ」
と言って最上さんたちは並んですたすた行っちゃうから着いていく。
 まずいんじゃないの、どうしよう、とか思ってたんだけど、少し目を離した隙に最上さんは一人に戻ってた。で、ロケの続きをやって、その日のうちに下山できたんだけど、その時にお前どうした顔青いぞ、ってチーフが缶コーヒーをくれてその場で飲んだ。やたら甘くて帰り道の車で酔った。だから今でも甘い缶コーヒーが苦手だ。

 

Nさん
 最上さんの楽屋をノックすると、はあいって返事してくれるんだけど、時々「寝てます」と返ってくる。いや起きてるじゃないですかって楽屋に入ったら最上さんはパイプ椅子並べた上に横になって本気の仮眠とってて、あれ何ですか?と後で聞いたら
「寝言じゃないですか。僕も知りませんけど。寝てるから」
と言われる。最上さんは普通の顔をしていてからかわれているようにも思えない。
 また別の日にノックしたら「寝てます」って返ってきたので、「本当に寝てるんですか?」って聞いたら「寝てますよ〜」って返ってくる。いや起きてるじゃねえか、と楽屋のドアを開けようとしたら開かない。中に何か粘っこいものが詰まってるみたい。
 あれ、と思ったら、「今は開けない方がいいと思いますよ」って、最上さんぽいけど最上さんじゃない声がドアの隙間から聞こえてきて、そういえば寝言に返事しちゃいけないんだった、って思い出した。

 

T君
 台本に付箋つけながら最上さんがはあい、って返事するんで「?」と思ってたら「あ、違ったんですね。人の声真似が上手いのがいるみたいですね」と言いまた台本に付箋つける作業に戻ったんだけど、よく見たら付箋の位置が変で、自分の出番でないとことか、白紙のとことか、ぺたぺたつけて行って、だんだんペースが上がってきてページの周囲にほぼびっしりクリーム色の付箋がついてて、でも最上さんは普通にしてるしどうしようかと、なんてこともありましたよねって言ったら最上さんは真顔で「ないです」って言った。
 そういえばあの後どうなったのか記憶にないですね。でも変だな、付箋をつけてる最上さんのことははっきり覚えてるのに。夢でも見たんですかね。
「そうだと思いますよ。とりあえずお札出しときますね」
と最上さんはロケ弁を巻いてた紙の裏っかわに何かもじょもじょと書いて即席のお札を作ってくれた。