小説の練習、記念すべき第一回は『文体の舵をとれ』である。とはいえ実は新作ではなく数年前に書いた文章であるのだが、新たに末尾に簡単な解説をつけた。
一応簡単な説明を。アーシュラ・K・ル=グウィン著、大久保ゆう訳『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』(フィルムアート社、2021)は、『ゲド戦記』『闇の左手』などで知られる小説家ル=グウィンが書いた小説指南書である。題名の通り内容よりも文体に力点のある指南書で、各章に1〜2題の練習問題がある。
ありがたいことに文章を褒められることが多いのだが、なんとなくでやっている部分が多く自分でも再現ができないため、解説を付すことで「なんとなく」の部分を洗い出そうという目論見である。
では、まずは第1章の練習問題①問1から。
練習問題①問1
一段落〜一ページで、声に出して読むための語りの文を書いてみよう。その際、オノマトペ、頭韻、繰り返し表現、リズムの効果、造語や自作の名称、方言など、ひびきとして効果があるものは何でも好きに使っていい——ただし脚韻や韻律は使用不可。(pp. 31-32)
「ししがはら」
四々ヶ原は小荻島の中央にあって山の頂上を真横にすっぱり切り落としたような高台だ。四々十六、十六方位が見渡せるというのが名前の由来で室町の頃は海賊の根城があったという。今は北側の島に白い背の高い塔ができて、四々ヶ原は見下ろされる格好だ。
しかし四々十六の四々ヶ原、というのも実は新しい名称であって室町をさらに遡り上代にいたると「しし」は「肉」、または「鹿」で狩の獲物のシカを言う。がシカは現在小荻島には一頭もいない。というのも上代の頃に人とシカは決別したからである。小荻に人がほんのちょっとしかいなかった頃はシカと人とは運命共同体、というのが言い過ぎなら小荻という世界を共有する一種の利害関係者であったのだが、人が増えシカが小荻の同居者ではなく食肉とみなされはじめたとき——つまりただの「お肉」とみなされはじめたとき、シカたちは怒って人と世界の袂を分かった。ある日突然、シカは島からいなくなった、という。
焦ったのは人で何とかシカを呼び戻そうと、この島の一番高い場所で賑やかな楽とともに踊りを踊った。それでも帰って来ないから、今度は悲しげな楽で寂しい踊りを踊った。それが小荻の鹿踊りで、鹿踊りをしたところが鹿ヶ原、だがシカたちの怒りは深かった。踊れども踊れども蹄の先ほども帰って来ない。最後は楽もかなぐり捨ててひたすら謝ったが、何の反応もなかった。
そのうち人はシカを忘れた。なんとなれば、小荻の四方は海であった。食肉は魚に代わり、小荻の鹿ヶ原は四々ヶ原へと名を変えた。鹿踊りだけは現在の秋祭りにわずかに残っている。
さっき私は「人と世界の袂を分かった」と言った。シカたちはいなくなったが、島を出て行ったわけではない。自分たちの暮らす島をなんで出て行くものがあるか。同じ小荻の一つずれた位相へと、ひょいと蹄で乗り越えただけ。シカは今でもそこにいて、ただ人間にはわからない。なに、彼らにとっては造作もないことだ。ただ隣に引っ越すようなもの。人にとってはその境目を越えるのが難しい、というだけで(だから本当はただそっぽを向かれていたのだろうと思う。怒りなどシカたちは抱いていなかった。人間が踊ろうが何をやろうが興味はない。もうとっくに終わった関係なのだから)。
今でも四々ヶ原の地に耳をつけると、トットドッドドと蹄が地面を打つ音がする。のみならず、ごく稀には地面に伏せた姿勢のこめかみを踏み砕かれる事故も起こるのだが、度胸試しとして四々ヶ原に身を横たえる若者は、今も絶えない。
【解説】
今回の課題は「声に出して読むための語りの文」で、「ひびきとして効果があるもの」はなんでも使っていいが、「脚韻や韻律」は使用不可、とある。
「脚韻」は詩行の末尾の音や形を揃えるもの、「韻律」は詩歌における特定のリズムのようなもの。つまり「脚韻と韻律」とは詩を詩たらしめている文体的な要素ということで、詩ではなく散文で朗読のための文章を作ることが求められているのだと思う。
日本語でそれに当たるものは七五調であろう。ということで七五調をなるべく避けてなおかつリズムの良い文章を目指すことにする。
リズムがいいと言えば九九、そこで「四々十六の四々ヶ原」という架空地名を思いついた(と思う。何分記憶が古くて覚えていない)。あとは「しし」から言葉遊びで鹿の話に繋げた。架空地名や言葉遊びを作話の糸口にすることはよくある(「冬の群、馬数ある中の」や「宇比川」など)。
「オノマトペ、頭韻、繰り返し表現、リズムの効果、造語や自作の名称、方言」のうち「方言」以外は入っているかと思う。「頭韻」は少し弱いかもしれない。「リズムの効果」は何を指しているのかよくわからなかった。
その他の工夫として、文同士の接続に口語っぽい接続語を使うようにした。つまり「が」や「というのも」のように、後から言葉を足していくような形にしている。文の切り方については、二段落目と最後では「、」で文を継ぎ足すような形を多めに用いているのに対し、中間の鹿パートでは「。」を多めに使用して文を短く切り、「関係は終わった」感を出した。
ちなみにこれは架空の諸島「貝楼諸島」を舞台にしたウェブ企画「貝楼諸島より」に参加した作品でもある。そのため島が舞台になっている。