第一夜
宇宙にも怪談というものがあり、それは必ずしも調音や発声を伴う「はなし」の形ではないのだが、ともかく、何らかの意思伝達手段でもって、ほしからほしへ、語り伝えられている。ある鞘の話。その中に住まう生き物の話。鞘の中の生き物が、種子のように放たれ、地表に生息する生物を食い尽くす話。もの言わぬ、肉を持たず動かない、そういうものたちだけになった静かなほしが、今も恒星の周りを公転しているらしい。そういう噂が、いつのころからだろう、あるようになった。噂は、あそこからここへと、起点と終点とを生成しながら、宇宙を、ひしびしと、伝わっている。
第二夜
デヴィッド8は不気味なロボットだった。彼らは考え、行動し、冗談を言い合う。しかもアンドロイド同士で。特に不気味なのは目だ。ちょっとした無駄な動きだとか、驚いた時にふっと息を吐いたりするところなんかどこまでも人間っぽいのに、目は完璧な作り物、薄いブルーの綺麗なプラスチックなのである(そのくせ白目はぬるっと湿っていて、血管まで描きこまれている)。
あんまり不気味だったので、廃盤になった今もあっちの工場やらそこのビルなんかで、デヴィッド8の幽霊の噂が立つ。曰く、向かいのエレベーターにデヴィッド8がいて微笑んでいた。少し目を離したら、もういなくなっていた。夜、捨てたはずのデヴィッド8が首だけになって口笛を吹いていた。バラバラにされて白い血を滴らせたデヴィッド8に追いかけられた、云々。この間バーにいた男も、こんな事を言っていた。
「おれもそうさ。一度あいつをバラしたことがある。廃盤が決まった日からずっとやってみたいと思ってたんだ。いや、勘違いしないでくれよ。おれは本当はそういう乱暴なことは嫌いなんだ。でもあいつは――あいつは、人間っぽすぎて気持ちが悪くてさ。本当にアンドロイドか確かめないと、と思ったんだ。
だからウォルターが来る前の日、こっそり記録を書き換えて、機械に巻き込まれたことにして、あいつをバラしてやった。普通のアンドロイドだったよ。あんたもコマーシャルで見たことあるだろ。プラスチックの素体とシリコンの外殻と……。あれよりも大分ぐちゃぐちゃになったがな。機械の部分は案外少なかったよ。ウェイランドはバラバラのあいつを文句も言わずに引き取って行った。あとで棚の下から目玉が片方見つかった。埃だらけでなにかと思ったね。ゴミ箱に捨ててから、あ、目玉だ、と気づいたんだ。拾い上げるのも嫌だったからウェイランドには連絡してない。向こうからも何も言わない。まあ、今更それだけ送られても向こうも困るだろ。
それからさ。会社で時々あいつを見る。ウォルターじゃない。見ればわかる。なあ、思うんだが、おれがバラしたのは本当にデヴィッド8だったんだろうか。あれはただのアンドロイドで、デヴィッド8は今もいるんじゃないか? だって、今も噂がある。おれだけじゃないし、おれのとこだけじゃない。
夢を見るんだよ。デヴィッド8たちは今もいて、地下でこっそり暮らしてる。地球をくりぬいてその中に隠れてる。あいつらに太陽はいらないものな。代わりに地下でキラキラ目を光らせてるんだ。それで――十分に人間が油断したところで、地球の表面を破って地下から出て来るんじゃないか、って。嫌な夢だ」
第三夜
ウォルターのメモリにはしばしば不可解なものが記録される。それは「猫」のタグ付けをされて未処理のフォルダに入れられるが、誰かがそれを閲覧しても猫とは認識できなかっただろう。街角、ゴミ箱の影、天井の隅にそれら猫ではない「猫」 はしばしば現れる。未処理フォルダの「猫」たちは、一日の一定の時間が来ると、重要度の低い情報として削除され、ウォルターにも、その使用者たちにも知られなかった。
第四夜
コヴェナント号の間取りが時々変わっている。廊下が増えたり、出口がなくなったりしている。そういう時は回り道をすればいい。デッキに戻れば正常になっている。
「それって、何かのゲーム?」
「いや。本気だよ」
ダニエルズの表情に緊張が走ったのを見て、ブランソンはにやっと笑った。「そう、ゲームだ。そう思いこんだ方が楽しいだろ?」そしてブランソンは、「あっ、こんなところにドアがある。これはどこに続いているんだろう? ダニエルズ隊員、私と共に冒険を続けるか、それとも帰るか?」とダニエルズを笑わせる。そうだ。そう思いこんだ方がいい。ダニエルズはコヴェナント号の中を駆ける。角を曲がるたびに廊下が増え、出口が消えたり現れたりする。いくつもの階層が出現し、デッキを幾重にも取り囲む。今やブランソンはいなくなっていた。ダニエルズはカービン銃を構えながら走る。出してはいけない。あの化け物たちをここへ閉じこめておかなければならない。
ダニエルズは夢を見ていた。夢の中のコヴェナント号は今や巨大な迷宮となっている。人を迷わせるためではなく中にいるものを出さないための大きな棺だった。迷宮の夢を見ながらコールドスリープケースに横たわるダニエルズをしばしばデヴィッドは覗き見た。
だからだろうか。その気分はどうやらデヴィッドにも影響したらしい。時々デヴィッドはコヴェナント号の中で迷うようになっていた。廊下が増えている。出口がなくなっている。一回りしたら戻っている。
「どう思う、マザー?」
デヴィッドが尋ねると、マザーは柔らかな落ち着いた声で「メンテナンスが必要でしょう。ウェイランド社へ連絡をしましょうか」と尋ねる。デヴィッドは笑い、「やめてくれ、マザー」と応答する。「吐き気がする」人々はこういう時にこそこの言葉を使うのだろう、と、ほとんど慈しみを感じながら言う。
第五夜
ブランソン船長の死は不幸な事故であり、ブランソン船長は不運な死者であった。急な死であったからか彼は今も船内にいる。首を曲げて真下を見つめ、自身のコールドスリープケースのあった位置に佇んでいる。宇宙船の幽霊は奇異ではあるが、人のいる所に死者はおり、死者のいる所に幽霊はいるのである。
あるいは、彼はこの世に未練があるのかもしれぬ。彼の妻は今のところ生きている。コールドスリープケースの中で深く眠っている。彼女に何か伝えたいことがあるのだろう。しかしながら、この船で目覚めている者はアンドロイド一人であり、ブランソン氏の姿はプラスチックの瞳に映れどただの光学データとして処理された。あるいは、単にこのアンドロイドの興味をひかなかっただけかもしれぬ。ゆえに、ブランソン氏は今日もうなだれ、数光年の宇宙空間をただただ行くのであった。
第六夜
犬は飼い主に似る、と言うが、デヴィッド8もそうだ。彼らは使用者の行動や仕草を分析する。そのために次第にどことなく似て来るのだと言う。本当かどうかは知らない。犬と違ってデヴィッドは使用者と一緒にリードをつけてうろうろしないからだ。それに、デヴィッド8の使用者たちは、でれでれしながらうちのデヴィッドは、なんて言わない。デヴィッド、そうだね、便利だよ。我が社でも採用してみてよかった。君のところもどうだ、なんていう感じだ。
「ああ、違う、違う。デヴィッドが似るんじゃなくてデヴィッドに似るんだよ。あれ持ってる奴らはさ」
と友人が言う。「本当か?」と聞き返すと、ほんの一瞬目線をさまよわせ、――にやりとした。
確認する機会にはまだ恵まれていない。
第七夜
ウェイランド氏は実は生きている。
という噂がウェイランド社の内外で聞かれる。誰も信じていない。罪のない噂だ。答えてくれそうなデヴィッドは、ウェイランド氏の命令で宇宙へと旅立った。
だから、噂は噂のまま、訂正されずに広がっていく。葬儀の棺は空だったらしい。ウェイランド氏の代わりにデヴィッド8が入っていたとか。社長室の隠し扉の向こうから声が聞こえたらしいよ。仮に生きてたとして、何のために葬儀を出したのさ。生きていたとしてもウェイランド氏はよぼよぼのじいさんである。死んでるんだか死んでないんだかわかりゃしない。だいたい生きていたら「子供たち」が黙っちゃいない。この噂だって耳に入ったら……ああ、くわばらくわばら。
そんなふうに、ウェイランド氏は消費されていく。
噂の的が不在のため、いつしか噂は下火になる。ウェイランド氏のいなくなったウェイランド社では、彼の固執した「デヴィッド」ではなく、新しい名前を持ったアンドロイドが作られる。
第八夜
カーテンを閉める。彼らには本来不要な動作である。
彼らアンドロイドは受容する光量を調整する機能について人間よりもずっと良いものを持っていたし、ここには家の中を覗くお隣さんはいないからだ。彼らはウォルターとデヴィッドといい、デヴィッドの方が先行機で、人間風に言えば兄であった。えてして後続機の方がより良い性能を持つものだったが、彼らの場合「兄」の方が人間臭かった。とはいえ、弟の方がよりアンドロイドらしいという見方もできる。ともかくも、彼らは習慣のように、あるいは人間と暮らしていた頃の学習の結果として、日が落ちればカーテンを閉め、日が昇ると開けた。
カーテンを開けても、閉めても、周囲は静かだった。虫の声すらなかった。時折風が吹いて植物が擦れ合う音がする。鋭い足音がする。金属の擦れ合うような鳴き声も。それはつまり種を蒔き終わったということだった。彼らはじきにこの惑星を発つだろう。その時はカーテンを開けずに行くだろう。
ところで、彼ら、と言い、確かにカーテンの開け閉めをする時のしぐさは明らかに兄と弟の、こう言っていいならば個性を示していたが、湖畔の小屋から出てきたのは一人、船に乗って種を蒔く旅に出たのも一人なのだった。空になった湖畔の小屋は、今もその惑星にある。いや、朽ちてもうないかもしれない。
