夕方にろうそくを買って帰った日、イワン・フョードロヴィチは、クラソートキン一家の住む家の前で子供と石蹴り遊びをしていた。この居候は普段、何もせずだらだらしているか、どこかへふらっと出掛けては酔っ払って帰ってくるかのいずれかだったが、時折気まぐれの虫がうずくのか、こうやって子供と遊んでいることがあった。
子供は隣家に使われている女の子供で、恐ろしい癇癪持ちだったからいつも外に出されている。イリューシェチカと呼ばれているその子は確か七つ、あるいは六つか、ひょっとしたら八つだったかもしれないが十は出ていない。いつもボタンの取れた薄汚れた服を着て、袖から伸びる痩せた手や、靴下も履かず剥き出しの足首は砂色に汚れている。髪は脂じみてくしゃくしゃでいつも洟を垂らしていた。近所には同じように洟を垂らした子供たちがたくさん住んでいたが、外に出されているのと同じ理由で遠巻きにされていた。気に入らないことがあれば癇癪玉を破裂させて、頭を壁に打ちつけたり、手に持っているものを投げたりする。一度はさみを投げたことがあって、ぶつけられた子は危うく目に当たるところだったとかで、子供からも大人からも嫌われていた。ニコライ・クラソートキンも一度癇癪に出くわして、泥をぶつけられたことがある。ぶつけられたというよりは、手当たり次第に暴れていたら偶然泥が飛んだというのに近かったが、とにかくその時は官服についた泥を落とすのに苦労した。それでもクラソートキナ夫人はきれいに処理した。こんなふうに服を汚されるなんてと憤慨していたら、あなたの子供の頃なんてこんなものじゃない、全身泥まみれで帰ってきたと言われてニコライは少々ばつの悪い思いをした。母親である隣家の女中は、子供についてはすっかり諦め切っていて、殴るなり罵るなりどうとでもしてくれというような投げやりな顔で、ニコライに通り一遍の謝罪を述べた。
机の上にろうそくを置いて二階の窓から見下ろすと、子供は遊ぶというよりはまるで何かの作業のように黙々と石を蹴り、地面に引いた丸や四角の上を片足でぴょんぴょん跳んでいる。よく見るとルールは無用らしく、囲いの中に数字はなかったし、子供は勝手な軌道でぴょんと跳んでは、時々両足をついて石を蹴り、またぴょんぴょんと跳ぶ。時々イワンの方へ石を投げるのを、イワンは爪先でコツンと蹴った。蹴り方が悪いのか、石の形のせいか、好き勝手な方向に転がる石を追いかけて子供が跳ねる。昨日降った雨は今朝にはすっかり上がっていたが、日当たりが悪いせいか地面は少し湿っていた。表面の乾いた土をえぐって子供の靴底の跡が歪な円状に広がっている。地面に引いた図形は足跡で大方消えている。その真ん中で足をちょっと動かす以外に動かないイワンは、まるで泥畑の中に立つかかしのように見えた。
ニコライは窓辺から離れてろうそくの包みを開ける。店主が固く紐で縛ったせいで解けず、部屋からナイフを持ってきて切らなければならなかった。古新聞に包まれた三本のろうそくは居間の隅のイコンに灯すために買ってきた。母が帰宅してから二人で灯す。イワン・フョードロヴィチはこの手のことに参加したことはない。冷笑もしない代わりに尊重もしない。彼の人生にはそうしたものはまるで必要がなく、そもそも存在すらしていないように振る舞った。母も自分もそれを咎めたことはない。イワン・フョードロヴィチといえば故郷では無神論者で鳴らしたのだから驚きはない。コーリャはろうそくを一本手に取って匂いを嗅ぎ、ため息をつく。
イリヤ・スネギリョフ――故郷の友人で、八つで死んだイリューシャの家族は、もうたった一人になってしまった。スネギリョフ一家はカテリーナ・イワーノヴナが援助をしていた。あのお嬢様は意外にと言っていいのか義理堅く、一度は自分が医師に診せたのだからとその後も面倒を見ていたらしい。しかしカテリーナにできたのはそこまでだった。父のスネギリョフは酒に溺れ、程なくして死んだ。いつどうなったって不思議じゃない飲み方で、飲み助には慣れている町の人々も、目も当てられないくらいだった。いつも大きなウォトカの瓶を抱えていて、泣いたり笑ったりしながら飲んでいる。鳥の声が聞こえた時だけ飲むのをやめて、そっちの方に向かって走り出す。イリューシャの墓の上で鳴かせるために……。スネギリョフ二等大尉の脳みそはこの時点で半分ウォトカに浸かっていて、ひどく忘れっぽく、夢と現実の区別も曖昧になっていた。イリューシャの墓は教会のそばにあったが、スネギリョフは何度説明されても、散歩道にあったあの石を墓だと言い張った。墓碑銘を見せられてようやく納得するのだが、次の日にはもうそれを忘れて、鳥を石の方へ追い立てる。悪ガキ連中は茂みに隠れて鳩笛を鳴らし、スネギリョフを走らせた。鳥の鳴き声に気づいた途端ウォトカの瓶を放り出すので、別の飲んだくれが半分こぼれた瓶を拾って懐に隠した。どれだけ隠しても見つけて飲んでしまうし、酒屋に売るなと言ってもどこかから調達して飲んでしまう、とワルワーラは始終腹を立てていた。イリューシャの姉さん。とても頭が良く、コーリャは苦手な古典語を教えてもらったこともあった。イリューシャが死んでからは無くなったけれど。ワルワーラはモスクワに行って学校に戻れるのにそうしなかった。「置いていける? こんな家よ!」かわいい子が死んだ悲しみの深さに皆理解を示したが、ワルワーラだけは拒絶した。「あの父親には妻も娘もいるのよ。まだ家族がいるの。でもそんなのあいつにとってはどうでもいいのよ、自分一人きりの悲しみに浸っている方が大事なのよ!」ワルワーラは叫ぶとその場にしゃがみ込んで泣き出した。
周りに説得されて学校に戻ったワルワーラは、そこで肺病になった。カテリーナ・イワーノヴナからは最低限の援助しか受け取らず、生活費はほとんど自分でまかなっていたが、無理がたたったらしい。それでもちゃんと休めば大丈夫なはずだった。だけどワルワーラは意地を張って、ここへ戻った時にはもう手遅れだった。そう、スネギリョフより先にワルワーラが亡くなった! スネギリョフの背骨を折るには十分すぎる一撃だった。娘を埋葬して程なくして、スネギリョフも死んだ。ほとんど野垂れ死にに近かった。残された「母ちゃん」とニーナ姉さんは、ばらばらに施設に入った。これもカテリーナ・イワーノヴナが世話をした。
いいところ、とニーナが書いてよこしたその施設をコーリャは知らない。ニーナも空気が良くて自然が美しいとしか書かない。母親には会えなくなったが、様子は定期的に手紙で知らせてもらえたのだと。それはつい先日母親が風邪を拗らせて天に召されるまで続いた。それでニーナは一人ぼっちになった。
「そこで、あなたのことを思い出したのです」とニーナは手紙に書いた。「イリューシャのお友達、どうかあの子のために祈ってやってくれますまいか」この手紙を届けてもらうために、ニーナは初めてカテリーナ・イワーノヴナに「わがまま」を言った。カテリーナ・イワーノヴナは、アレクセイ・フョードロヴィチの伝手でここの住所を知り、ニーナの手紙を届けた。手紙は誰かの代筆らしく、近頃はしきりに手が震えるのだというニーナの言葉に反して美しく揃った文字で書かれていた。
お祈りの最後に一言、あの子の名前を加えてほしいとニーナは書いた。「もう私しか祈る人がいないのです。そして私がいなくなったら、あの子のことは誰が祈ってくれるでしょう。あの子は神様の御許にいるはずなのだからこんなふうに感じるのはおかしなことかもしれません。だけど、そのことを思うとたまらなく寂しくなるのです」。
コーリャはニーナの透明な瞳を思い出した。その色も覚えていないのに、澄んできれいな瞳だった。もちろんそうすると返事を書いた。末尾にどうか体をお大事にとつけたが、ひょっとしたら余計なことだったかもしれない……けれども、ああ!
イリューシャのことは忘れたわけではない。今もはっきり思い出せる、自分をペンナイフで刺した時のキラキラした瞳や、痩せこけた優しい、けれども青ざめた顔……しかしそのことを近頃すっかり思い出さなくなっていた。忙しくて? 居候に振り回されて? ばかめ、そのずっと前からそうだったじゃないか!
イリューシャの墓のそばでアレクセイ・フョードロヴィチの言ったことを、コーリャはほとんどそっくり覚えていた。その時の何物も引き換えにしていいような悲しみと、イリューシャとお互いを決して忘れないと言ったあの誓いも。ああ、覚えている、覚えている! けれどもきっとそれだけだった。
それは生きているからだと、君が懸命に生活をしているからだと、あの人なら言うだろう。どれほどくだらない、雑然とした日常の中にその大切な祈りを埋没させてしまったか、それを知ってもアレクセイ・フョードロヴィチはそう言うだろう。あれだけ後悔してなお、イリューシャが亡くなった次の学年にはもう、誰かから尊敬されたくてうずうずしていたのに。それで父親の本棚からずいぶん背伸びした本を読んで、それはもう古い知識だと教師から指摘された。社会主義思想だって本気で傾倒していたわけじゃない、最新の思想を知っていれば一味違うと周囲に証明できるからだ。結局、証明するほどの中身がそもそもなかったんだ、それでこうやって平々凡々とモスクワで役人なんかやっている。イワン・フョードロヴィチを引き受けたのだって……もしあの堕落し擦り切れきった知識人を甦らせることができれば、きっとあの人が尊敬してくれるだろうと思ったからじゃないか!
つんとした臭いが鼻をついた。ニコライは、自分が思考の袋小路にはまり込んでいるのに気づいて顔を上げた。いつの間にか食卓に顔を伏せて、真新しいろうそくと、それを包む古新聞のインクの臭いを吸い込んでいた。さっきのはろうそくの匂いか、それとも古新聞に染みついたゴミの匂いだろうか。ニコライはろうそくを一本摘み上げて目の前にかざす。白いろうそくは薄暗い部屋の中では青ざめて見えた。やっぱり自分、自分のことばかりだ。あの小さな友人のことを考えていたはずだったのに。あの時彼は八歳だった。その年頃の六歳の差は大きい。絶対的な壁みたいなものだ。それでも、彼は自分の申し出た「仲直り」を拒絶した。自分をペンナイフで刺した。二ヶ月も友達をほったらかして犬の仕込みに夢中になっていた自分の贈り物を受け入れてくれた。彼は自分にたいそう怒ったこともあったが、決して軽蔑はしなかった。対等な人間でいようとしてくれた……。
突然窓の外から甲高い叫び声が聞こえた。コーリャはろうそくを新聞の中に戻して立ち上がり、窓を開ける。前の道で子供が地面に仰向けに寝転び、手足を地面に叩きつけて大暴れしていた。水の抜けかけた硬い泥を小さな拳が叩いて凹ませる。あのままではいくら泥と言ったって怪我をしてしまうだろう! しかしああなったイリューシェチカは誰にも止められないのだった。あとは子供の気が済むまでそうさせておくしかない。それを分かっているから、通り中に金切り声が響いているというのにどの家からも誰も出てこなかった。
イワン・フョードロヴィチは、そのそばで尻もちをついていた。あれではフロックコートも泥まみれだろう。イワンは気難しげな顔で子供が泣きわめき、身悶えするのを眺めていたが、やがて立ち上がると、周囲を見まわした。子供のそばに落ちている石を見つけると、拾いあげて、地面に投げた。ころんと転がった石を追いかけてイワンが片足で飛ぶ。子供ほどの軽さがないので、とん、とんとふらつきながらゆっくり跳び、石のそばまで来ると片足のままかがみ込み、石を拾う。投げて、また片足跳びをする。時々上体がぐらついた。フロックコートの裾から泥のかけらが落ちる。気ままにやっているように見えて、イリューシェチカとは違って律儀に図形の上を順番に跳んでいる。あのほとんど消えかけた丸や四角の上を……。コーリャはその時直感的に、昔、小さな頃、イワン・フョードロヴィチもああやって遊んでいたのではないかと思った。きっと弟は遊びの仲間に入れなかった。自分一人、一人だけのルールで、一日中、ああやって小石を蹴っていたのではないか。それなら、イリューシェチカもひょっとして、自分一人のルールで遊んでいたのかもしれない。他の誰も知らない、彼一人のルールで。
イワン・フョードロヴィチが石蹴り遊びをしているうちに、イリューシェチカは落ち着いてきた。それは決してイワンのおかげではなかったが、子供がそのまま寝そべっているのではなくて地面から起き上がることを選択したのは、イワンを見てさっきの遊びの続きをしようと思ったからなのかもしれない。暴れたせいでイリューシェチカのシャツは全部ズボンからはみ出ていたし、最後のボタンもどうやら飛んで、背中にはかぎ裂きができている。髪の毛まで泥まみれで、顔は泣き喚いたせいで鼻水まみれ、おまけに真っ赤に腫れ上がったみたいだったが、ともかくも泣き止んだ。泥だらけの袖で鼻水を拭くものだから、顔まで泥だらけになった。イワンは立ち上がった子供を見て、片足立ちのまま手に持った小石をころんと放った。小石は子供の隣を転がった。子供はその小石に警戒の目を向けた。
コーリャは、祈るように手を組んでそれを見ていた。自分が手を組んでいたのに気づいて、それを口元に持っていき、手のひらを膨らませて親指に隙間を作り、強く吹いた。一吹き目は失敗した。二吹き目で音が出たが、途中で掠れて腑抜けてしまった。三吹き目、ようやく甲高い、しかし少しくぐもった、鳩の喉から出るような笛の音が響いた。コーリャは手を動かして、息の続く限り、弧を描くように音階を変えながら、燕の急旋回みたいに、少し跳ねるように終わらせた。なかなかうまい、誰が聞いたってうまいじゃないかと言うだろう。だけど、こいつが一番上手かったのは、じいさん、イリューシャ、君だった。
子供が無言でコーリャのいる窓辺を指差した。イワンも顔を上げて窓辺を見た。
四度目に笛を鳴らそうと思いっきり息を吸い込んだ時、ニーナの手紙を思い出した。そしたらどっと涙が出た。みっともないと分かっていたが嗚咽が止められなかった。ニーナは僕をイリューシャのお友達と呼んでくれた。僕なんかのことを、お友達だって。