こんにちは。私はこの紙、この言葉が書かれているこの紙をはさんでこっち側にいます。あなたにとっては向こう側に。そして私にとってあなたは向こう側の人だ。こんにちは、向こう側!
そちらは、どんな世界? 私はついこの間まで向こう側があるのを知らなくて、自分がいるのがたった一つの世界だと思っていました。気を悪くしたらごめんなさい。
せっかくあなた、向こう側のあなた、に会えたのだから、今日は私の世界について、いくつかお話ししようと思います。でも、あれもこれもと思いつくことを何もかも話していたら、言葉がすべてを押しつぶして、何も話せなくなってしまう。だから今日は、私の世界の二、三のことについてお話ししようと思います。私がいま言葉を紡いでいるこの紙、が綴じこまれているこの本、が戴いてるテーマ、泡、籠、暁について。
まずは泡から。
表題をつけた方がいいのかな?
一、泡について
お話しします、と言ったけれど、実は私はそれほどよくものを知らないのです。無垢であれ、というのが私の役目だから。けれどもいくつか、本当に大事なことだけなら知っているから、それをお話ししようと思います。
泡は英雄です。巨大なまあるい一つの泡が、この世の天井が崩れ落ちないように支えています。と、そういう神話。私たちに最初に教えられる創世神話です。かつて世がまだ渾沌として、私たちもあの人たちも何の区別もなく、すべてが混じり合っていたころのことでした。突然、英雄の泡が現れて、世界を分割しました。しかし常に拡散し、互いに入り混じりあって渾沌としようとするのが世界の性というものです。だから、この世の天井は、今もこっちに向かって落ちてこようとしています。それを巨大な泡が支えているのです。
泡はそして、母。私たちはすべて泡から生まれました。これは科学的な記述で、私にとっては英雄の泡より母親の泡のほうが身近です。私たちは無垢ではあるけれど、自分のルーツは知っているべきだから。というわけで、自分の生成過程ならだれでも知っています。
私たちはみな泡から生まれる。薄い膜に包まれた泡です。初めはとても小さな泡で、繊毛の先で突いたのより、それを十六等分したのより、なお小さい。それが大きく殖えて増えて私たちになる。全てこの世に存在する命は、原初は泡でした。つまり生命は、空虚です。
こんな空っぽなのに、どうしていろんな形になってこんな風に言葉や考えが生まれたりするの?
それはずーっと昔、まだ天が落っこちて来ない頃からの謎です。無垢でない者もこの答えは知りません。今も彼らはそれを考え続けているといいますから、もしかしたらいつか答えにたどりつくかもしれません。あるいは、明日にでも。だとしても、私が知ることはない。私はそのように運命づけられています。
私たちの夢は上昇です。
私たちは、上へ上へと昇らなくてはいけない。沈むことは死ぬことだから。経年劣化すると私たちは、暗い、光の届かない、どこか遠くへと沈んでいきます。浮力を維持できなくなってしまうからです。そうなると、私たちは群れから離れ、一人で沈んでいく。実を言うと、沈んだ者たちが本当に死んでしまったかどうかはわかりません。この世の底へ、誰も行ったことがないのです。ただ、沈んだ者たちの言葉は聞こえなくなる。何も。何ひとつ。
沈んだら何があるのかは、謎です。浮かんだら何があるのか、も、本当は謎です。けれども上の方には、どうも何かがあるらしい。何かはなくても、天井ならあるらしい。だから私たちは上を目指すことにしました。
もしもこの世の天井へと至ったら、何が起こるのだろう。ぱちん! そこで英雄の泡がはじけて、この世が崩れてしまうかもしれない。天井に突き当たり、ばらばらに壊れてまっさかさまに沈んでいくのかもしれない。あるいは、英雄の泡の上にはまだ泡があって新しい世界があるのかもしれない。そこでは私たちは生きられない可能性も、かしこい者たちによって示唆されています。それでも上へ。上へ! 私たちはそう決めているのです。
私たち無垢の者は上へ行くための土台です。
私たちは平凡な生を送ります。私たちはあらかじめ決められた時期に繁殖します。私たちは一番下で群れとなって社会を営みます。時々、先頭の者が力つき沈んで行くのを見るでしょう。生活の中で私たちの浮力は消費される。代わりに私たちは罪を負いません。それが私たちの空虚な生命の内側に書きこまれている運命です。
私の教育はもうすぐ完了します。ことば。この世の果てとその向こう。神話と初歩の科学。私の運命と一緒に、知識が私の内側に書きこまれていきます。こういう知識は、私たち無垢の者が生活するのには必要ありません。私たちの役目は社会の土台となることだから。けれども私は、私の生命の内側に、世界を持って生きる。
私は今、籠の中にいます。籠の中で教育を受けながら完成を待っています。完成したら、籠から出て、与えられた運命に従って生きる。上で何が起こっているのか知らないまま、私は生涯を終えるでしょう。そうして沈んでいくのでしょう。
はい。
私はまだ、生まれていません。
二、籠について
籠は棲みかです。しかし仮の宿り、というやつです。
生成初期の私たちはごくごく弱く、ちょっとしたことでぺちゃっと潰れてしまう。少し流れが早かったとか、大きなものにぶつかってしまったとか、そういうことで、簡単に死にます。そういう不慮の死から私たちを守るための籠です。生命の泡、まだ思考どころか運命すら書きこまれていない、いのちの原型を、籠の中に入れて大切に育てます。そうやって私たちは増え、栄えました。潰れやすい若いいのちを、籠に入れて守ろうと考えたのは、私たちの祖母の祖母の祖母のそのまた祖母が生まれるよりもずーっと昔の頭のよいものです。「神」とも呼ばれます。
籠は使い捨てです。私たちは十分に成長したら、籠を破ってこの世に出る。つまり、生まれます。それよりも前に出られないわけではないけれど、そういう者は、生まれながらに沈む運命にあります。破られた籠も、私たちから離れてやはり沈む。私が最初に見るのは、自分の生まれた籠が沈むところなのだそうです。
私はこの籠の中から外の世界をうかがっています。なんだか、ふしぎ。私はまだ外の世界へ触れたことがないのに、それが何か知っているし、知覚もしている。
知覚できるのは、今のところ光です。この世には光が降り注ぎますが、そうでない時もあります。それが昼と夜です。昼の間は強い光のかたまりが、揺らめきながらこの世の天井の向こう側を通り過ぎて行きます。夜には何もありません。ただひたすらにまっくらです。
でも時々、私たち以外の社会か、あるいはその他の生物が、発光や音、あるいは化学物質の分泌によって意思の疎通をはかります。うまく通じる時もあるし、そうでない時もある。協力する時もあるし、逃げる時もある。私たちは弱いので戦うことはしません。何せ私たちときたら、ほんの少し鋭い流れに突き当たってしまっただけでも、簡単に引き裂かれてしまうのです。運が良ければまた社会を築けるけれど、そうでなければ……どうなるのかしら。皆で固まって沈むのかしら。それは、一人で沈むのよりも、寂しくないのかしら。
さて。無事に生まれたら、私たちは社会に組み込まれます。私たちの、ぴったりくっつきあった表面を情報がびりびりと駆けめぐる。他の社会からもらった情報だとか、世界の流れや温度などが。そういう情報を上手に選別し、お互いに伝えあう。それが社会です。私たち無垢の者は情報を集めて仕訳します。大抵は二択です。温かい。温かくない。跳ねる。跳ねない。かくかくしている。とげとげしている。その情報を使ったり、くっつけたり、混ぜたり分析したりして新しいものを作るのは、私たちとは別の者の役目です。そういう者たちは社会の上の方にいます。
彼らが考えたのは、たとえばこういうの。
<caution=”_流れる”>H=¢Vd・u / d3r </caution>
つまり、大きな流れがあったら要注意ってこと。それはひょっとしたら怪物かもしれない。怪物は一口で私たちの社会を食べちゃうのです。だから怪物だ! という流れを知覚したら、すぐ逃げる姿勢に入ります。逃げる時は足の速い者が活躍します。
「やあ、こんにちは」
おや、こんにちは。ここでお客様です。ずっと向こうの方から挨拶をしたのは私たちではない、べつの仕組みを持った生物です。私たちみたいに寄り集まって一つの社会を作るのではなく、たった一人で大きな体を持っています。何かにぶつかってもばらばらになったりしません。鋭い流れに当たると、私たちとは逆に生き生きと流れの中を縫って進む。このお客さんの体の横には一列に、発光器が並んでいて、そこをちかちかさせてお話をします。
「やあ、こんにちは。やあ、こんにちは」
だけど、そういえば、私には挨拶を返すすべがない。
「やあ、こんにちは。結婚して」
おおむねこんなことを言っているようです。種族が違うから、細かいところはわからないけれど、私たちを食べたり壊したりするつもりではないみたい。ああ、でも、緊張します。もしも向こうとぶつかったら、私たちがばらばらになってしまう。悪気はなくても、大きな生物にはそういうことがあります。……と言っているうちに、やあ、こんにちは、はずいぶん遠くなって、もう見えなくなりました。通りすがりの人ですが、良い結婚相手が見つかりますように。
それから――ああ。
もう余裕がない。もう紙面がありません。実は、と、ここでもう一つ告白します。私は「紙」や「紙面」がどんなものかを知らない。あたたかいの? 遅い? 明るい? いつか教えて。私が沈む前に、私に手紙を届けて下さい。
そして最後のテーマの、暁、これは簡単です。
それは私の名前。今、私が私につけました。私は無垢の者だから名前なんかいらない。名前なんかつけても役に立たない。けれども私は自分に名付けます。私たちの言葉で、夜明け、の意味を持つ名前です。私たちとあなたたちは生まれたところが違うから、言葉もきっと違うだろう。だから私のことは、あなたたちの言葉で「夜明け」の意味を持つ言葉で呼んで下さい。たとえば暁と。
それでは。さようなら。