兄さん、という一言から、イワンの手紙は始まっていた。
兄さん、そちらの生活はどんなふうだろうか。僕はようやく起きられるようになった。身の回りのことはカーチャがやってくれている。ちっとも考えがまとまらなくて、ここまで書くのに一日かかったんだ。
イワンの手紙は途切れ途切れで、筆跡は乱れがちだった。おそらく何日かに分けて書いたらしく、インクの色は濃かったり薄かったり、時々色が黒から青へ変わっていたりする。届いたのは、ドミートリイがシベリアに着いた冬ではなく、春の、根雪のすっかり溶けた頃だった。労役に出かけると、道は融雪でひどくぬかるんでいる。ふんばりがきかないので、材木だとか解体した船だとか、重いものを運ぶような時は事故が増えた。一日働いて帰る頃には、もうへとへとに疲れ切っていて、泥が重く足にまとわりつく。爺さんなんかは時々ぜいぜい言いながら足を止めてしまう。看守は苛立って歩かせようとするが、囚人たちは「おい、いいじゃないか、爺さんだぜ!」「一番後ろの奴が通り過ぎるまで休ませてやれ!」と言いながら、わざと歩みを遅くする。
僕が眠っていた間に、兄さんはシベリアに行ってしまった。できる限りのことはしようと思う。手紙を書いてくれ。僕にでも、カーチャにでもいい。何か必要なものがあったら言ってくれ。
監獄の中では何でも自分でやった。散髪も、繕いも、中のやつらは外に出せないし、外の人間を牢屋に入れるわけにはいかない。散髪は一人腕のいいのがいて、冗談混じりに首狩り屋と呼ばれていた。なぜそう呼ばれているのかは知らない。目つきの鋭い男で、寡黙だった。外でも床屋だったのかというとそうでもないらしいが、古いハサミ一本で髪も髭もさっぱりと整える。もっとも髪は半分剃られてしまうから、整えると言ってもたかが知れているが、それでも残ったざんばら髪を切り揃えてもらうと、それなりに気分が晴れるのだった。ドミートリイも一度やってもらったことがある。もちろん金を渡さなければならない。あるいは何か、必要なものや技術と交換だったが、ドミートリイはそのどちらも持っていなかった。ここでは何かと金がいる。金を送ってほしい、と書こうか、それとも没収されるだろうか。
労役以外で監獄から出られるのは、医者にかかる時だけだった。病や怪我はよくあって、それに笞刑が加わるから、名簿に載せられている囚人が全員監獄の中に揃うことは滅多にない。病院に送られた囚人が帰ってこないこともしばしばあり、あいつは死んだとか死にかけてるとか、時々噂が流れてくる。
兄さん、手紙を書く時に、今の様子を書き送ってくれないか。カーチャが知りたがっているし、僕も知りたい。何でもいいんだ。元気なの? そこからは何が見えるの? 何をして一日を過ごしているの? 兄さん! 兄さんは本当はそこにいるべきではないんだ。法廷で話した通りだ。やったのは僕だが、僕じゃない……!
イワンの手紙は、所々幼く、支離滅裂になる。ドミートリイは、法廷でのイワンの様子を思い出してぞっとした。腹の立つくらいに明晰だった弟は、突然金を取り出したかと思うと、スメルジャコフや悪魔のことをわめき立て、自分を逮捕しろと叫んだ。もうあの時には、彼の心は散り散りになっていたのだ……! 誰が弟の頭の中をめちゃくちゃにしてしまったのだろう。あの薄汚い召使いか、それとも父親か。イワンはあまり口には出さなかったが、父親を激しく嫌悪していた。けれども、イワンの手紙の中には、どちらのことも一言も書かれていなかった。代わりに「父さんの家は、しばらくあのままにしておこうと思う。皆いなくなってしまったけれど、あそこは、子供の頃に過ごした家だから。それに母さんの家でもあるしね。」と、そこだけは、まるでかつてのイワンに戻ったような、しっかりした文体で書かれていた。ドミートリイには、母の記憶はなかったが、イワンにとって母は確かにいたのだ。ドミートリイはその一節を、祈りながら何度も読んだ。
それにしても、今の様子とは、何を書き送ったらいいのだろう! 囚人達は剥き出しの板の上に裸足のまま寝かされる。監獄の中は排泄物の臭気が充満している。自分達の発する臭いと汚物の臭いで窒息しそうだった。冬の労役は、凍傷もお構いなしに進められる。実際に凍傷で指を何本も落とした囚人がいる。喧嘩、罵言、悪口、今も周り中で聞こえている、聞くに耐えないような言葉たち。それに足枷! イワン、お前はそれを本当に知りたいのか? 知りたいって言うのか? 突然とてつもなく腹立たしくなって、ミーチャは返事を書くのを途中でやめてしまう。イワンの手紙も衝動的に畳んで枕の下に敷いてしまったけれど、すぐに読みたくなって、取り出して広げる。
兄さんは前に子供のことを言っていたね。ほら、裁判の前に、哀れな子供のことを、しきりと言っていただろう。僕も近頃、子供のことを考える。哀れな子供のことだよ。ねえ、兄さん、その子供って、誰のことだったの?
「……誰?」
ドミートリイは手紙を膝の上に置いて顔を上げる。彼の心を貫いたあの夢のことは、ほとんど思い出すことはなかったけれど、今でも覚えている。御者の言葉、黒く凍えた母親達と子供達、光、夢の中で乗っていた馬車の揺れや、目覚めた時に当てられていた枕の感触まで。けれども、子供のことはわからなかった。まだ、それは彼の中で目覚めていなかった。
イワンは謎だ、とドミートリイは思った。
労役からの帰り、小さく歌が聞こえることがある。近頃入った囚人で、歌がうまかった。障害物をどける時やうるさいばかりでろくに動かない荷車を動かす時、朗々とした声で木挽き歌を歌う。最初はうるさがっていた囚人達も、その歌に合わせて仕事をすると、重い荷が軽くなる気がするのだった。
帰り道で歌うのは決まってバラードだった。それもか細い声で、誰に聞かせるでもない独り言のように歌う。歌声は時々、シベリアを吹き渡る冷たい風の音に吹き散らされてしまう。切れぎれの掠れた歌声に合わせて、囚人達がゆら、ゆらと体を揺らしながら、自由を奪われ、束縛されるための道を行く。
このことをイワンに書いてやりたいと思った。けれども、どうやって書いたらいいかわからなかった。掠れた歌声、震え声のバラード、恋人を思っているらしい、途切れ途切れの歌詞、ゆらゆらと体を揺すりながら歩く囚人達。これをどうやって書けばいいのか分からない。この国で最高の詩人も、この光景を書けるだろうか、お前にわかるように、なあ、イワン。
イワンへは何度か手紙を出した。最初は金を送ってほしいと書いて、次に金のことは書かないで、ここの生活を書いた。その次には、あの町であったことを書いた。事件ではなく、他愛ないエピソードを。そのどれも、どうやらイワンのところへは届いていないらしく、たまに届くイワンからの手紙には、返事がほしい、という恨み言が混じる。それもだんだんと間が空くようになった。
ドミートリイがシベリアへ来てから、三年が過ぎようとしていた。